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蓼科日記

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蓼科・東急リゾートタウン
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ワークプレイス蓼科日記

信州蓼科高原は、標高1450mにあり、夏涼しく、冬寒いの四季折々のリゾートでの楽しみ方ができます。
ゲストハウスは、から松、白樺、クリ、コブシ、モミなどの木などがいっぱい森の中にあります。
シジュウカラ、カケス、ウグイス、イカル、アカハラなどの野鳥やリスたちが、えさを求めて庭にやってきます。
こんなところにワークプレイスがあります。

毎月、ワークプレイスよりライフスタイル(日々の活動)をお送りしています。

<2019年>

 [1月] [2月] [3月] [4月] [5月] [6月] [7月] [8月] [9月] [10月] [11月] [12月]

 <2004年> (2004年分は、こちらからリンクします。)

 <2005年> (2005年分は、こちらからリンクします。)

 <2006年> (2006年分は、こちらからリンクします。)

 <2007年> (2007年分は、こちらからリンクします。)

 <2008年> (2008年分は、こちらからリンクします。)

 <2009年> (2009年分は、こちらからリンクします。)

 <2010年> (2010年分は、こちらからリンクします。)

 <2011年> (2011年分は、こちらからリンクします。)

 <2012年> (2012年分は、こちらからリンクします。)

 <2013年> (2013年分は、こちらからリンクします。)

 <2014年> (2014年分は、こちらからリンクします。)

 <2015年> (2015年分は、こちらからリンクします。)

 <2016年> (2016年分は、こちらからリンクします。)

 <2017年> (2017年分は、こちらからリンクします。)

 <2018年> (2018年分は、こちらからリンクします。)
 

2019年

3 月

3月31日 奥肌寒むの花見

中々連恒例の井の頭公園での花見。満開になったばかりの日曜とあって、場所取りには苦労したようで、いつもの所より遠くなり、桜の真下ではなかった。それでも前方を見れば、満開の桜が見え、振り返るとまたそこにも桜、桜。まずは良し。新宿の高島屋で、柿の葉寿司とたいめいけんのカツサンドを買って到着した。
柿の葉寿司は食べやすいので人気だ。酒もたっぷり、30名くらい集まって盛り上がる。そこで、監視人が来ないのを確認して、阿波踊り開始、とすぐ若い女性二人が遠くから走ってきて、飛び入り参加。「私たちも高円寺のさんさん連で踊っているのよ」と笑顔で輪に加わる。”さんさん連なんて聞いたことないな?”と思ったが、踊りはうまい。そうこうするうちに、周りからも飛び入りが増え、外人さんも混ざってきた。少し肌寒い日ではあったが、踊ると体が温まってきて、そのあとの酒はさらにおいしくなるのであった。

          
     写真左・空は青空、心は花見       写真右・桜はウキウキさせる
  

3月27日 早稲田野球部安部球場

今年の早稲田は小宮山監督に代わり、優勝が期待できそうとのことで春のリーグ戦が待ち遠しい。状況視察に東伏見の安部球場の亜細亜大との練習試合を見に行った。ここに行くのは初めて。西武新宿線の東伏見南口を出ると駅前左手一帯は広大な早稲田大学の敷地だった。ここにスポーツ各部の練習場や学生寮が建ち並んでいる。安部球場は敷地のはずれにあり、歩いて10分もかかる遠さだった。入ると安部磯雄先生と飛田穂洲監督の胸像がある。バックネット裏にいくつか座席があり、ここに座り観戦する仕組みだ。目の前がホームプレートなので特等席なのだが、目の高さが低いので、全体が見渡せないという難がある。それでも野球好きの早稲田OBらしい年寄りがおおぜい陣取り、「加藤はドラフト候補だとか、大阪桐蔭から入った中川はすばらしい」などと野球談議に花が咲いている。今日は風が強く、バックネット裏は日当たりがないので寒い。
常連は状況をわかっているらしく、陽射しのある所は花見日和の暖かさにもかかわらず、コート、襟巻、手袋で身を固めている。長年、通っているのだろう。試合は亜大が先行したが、早稲田がすぐ追いつき、2−2の締まった試合で8回裏まで来た。亜大の代わった投手に早稲田は連打を浴びせ、5点とって勝負ありの状況となった。トイレに行きたくてたまらないが、付近に見当たらない。最終回を待たず、球場を後にして駅へ小走りで戻った。開幕まじかい練習試合となると、打者はレギュラーになりそうな選手をほぼ固定化しているが、投手はベンチ入りするかしないか微妙な選手を試しているような感じだ。両校とも4人の投手をリレーしていた。その点では亜大の3番手の投手が甘かった。大学野球は投手力によって、チームの実力がわかることを実感した。

        
 写真左・バックネット裏は本塁に至近距離     写真右・早大安部球場
  

3月19日 ロッテアライリゾート・スキー場

村上の四十九日法要の帰りに、妙高の近くにあるロッテアライリゾートに寄った。スキーが目的だが、韓国のロッテホテルが経営しているという興味もあった。もともとこのスキー場はソニー創設者の盛田昭夫さんの息子が始めたがうまくいかず、ロッテが引き継いだいわく付きのスキー場なのだ。国内ではあまり宣伝していないので、日本人より外人客が多いスキー場だ。韓国人客はそれほど多くないというが、ホテル内には韓国料理のレストランがあり、ロッテホテルらしい。ホテルは立派で室内も広く、快適だ。スキー場はゴンドラ、リフトを乗り継いで、最上部に上ると、結構楽しめる斜面が広がる。傾斜もほどほどで面白い。それに非圧雪のバックカントリーの斜面も広くあり、新雪のあとなどは面白いだろう。
残念ながら、3月半ばの今日は気温が高く、新雪もなく、昼近くになると、雪もやわらかくなり、滑りにくくなった。こんなときに転んだら怪我する危険を感じ、昼めしを食べて終わりにした。雪のよい季節にもう一度来たいところだ。ソウルの娘夫婦を連れてきたのだが、旦那はスキーをやらないのが残念である。

      
    写真左・アライのロッテホテル   写真右・ロッテホテルらしく韓国旗が中央
  

3月17日わがふるさと村上の街

1月に亡くなった叔父の四十九日法要で村上に来た。今回は車で前日に来た。中学以来の親友・斉藤忠義君と会う前に時間があったので、村上駅から田端町を通って、中心の大町まで歩いてみた。
中学のときはよく通った通りだ。こんなに時間をかけて歩くのはそれ以来だ。大町は村上いちばんの繁華街なのだが、シャッターが下りている店が多い。町おこしの優等生と評判の村上だが、実態はこんなものなのだ。
ちょうど”町屋のお雛様めぐり”イベントが始まっていて、そこそこ観光客は来ている。それが救いだ。大町の通りには中学生のときからあった店も結構残っていた。三條屋呉服店、わらたけクリーニング、川村寿司屋、よくパンを買ったトラヤ、ここではコッペパンにコロッケを挟んでもらったり、食パンにチョコを塗ってもらったりした。そして極め付きは庄内町への曲がり角にある益田書店だ。この店には立ち読みで良く通った。もうすっかり寂れてはいたが、まだあるのだ。店に入ると、並ぶ書籍はわびしくなってはいるが昔の香りがする。郷土の本も並んでいて、シリーズ藩物語「村上藩」という書籍を思わず、なつかしくて買ってしまった。村上を離れて60年経つが、来て歩いてみると、紅顔の少年の頃にタイムスリップするのであった。

      
     写真左・昔ながらの店           写真右・うおやの店先     
  

3月8日 早稲田アリーナとその界隈

早稲田大学記念会堂といえば、入学した年に開かれた東京オリンピックでフェンシング会場に使われた。それでその期間中は大学が休みになった。私は1年生だったので、これ幸いと北アルプスに山登りに出かけた。
入学式や卒業式にも使われたこの建物が取り壊され、新しい早稲田アリーナという施設になった。それが完成し、OB会員にお披露目があった。中は昔同様、大きな体育施設で、入卒の式場に使われるが、屋根の部分が庭になっていて散策できる。地下にアリーナ、地上はパークと、しゃれた施設に生まれ変わっていた。
OBが集まるホームカミングもここが会場になるようなので、来てみようと思う。アリーナ建設に5万円寄付したが、それくらいは目じゃないようで、寄付者銘版は10万以上でないと刻まれないようだった。残念! アリーナを見てから、本部構内に移動し、早稲田大学歴史記念館に行った。ここは昨年、開設され、大学の生い立ちや、政治、経済、芸術、スポーツなどの分野の歴史と人物などを紹介している。妻は海部俊樹さんの写真を見て、「海部さんが早稲田出身とは知らなかった」とつぶやく。そんなもんなんだね。私は浅沼稲次郎さんの写真に感動した。暗殺されなければ、社会党最初の総理大臣になっていたかも。スケールの大きい庶民的な政治家だった。

      
     写真左・アリーナ内部         写真右・屋根の上は公園に
  

3月3日 ひな祭りに家族写真

いつも正月に家族で写真を撮っていたが、今年はおせちにもらった大きな蟹を撮っているうちに忘れてしまった。
そこでひな祭りの今日、平成最後の記念に撮った。下の娘は平成元年3月の生まれだ。入社試験のときは面接で、「平成生まれが社会人になるなんて」と驚かれたという。その平成も今年限りで終りだ。たったこのあいだ平成になった気がするが、もう30年も経っているんだね。イチローが平成になってからプロ野球に入ったと聞いて驚く。もっと昭和の時代から活躍してたような気がしてた。災害続きの時代だったが、これからの時代は安らかにと、お雛様に祈った。

      
      写真左・3月3日に祝う          写真右・今は内裏様だけ
 

3月1日 延命治療必要な叔母の状態

叔父が1月に逝って、特養老人ホームに入っている叔母がこんどは長くない、延命治療をするかどうかの判断を身内にしてくれとの知らせがあった。去年の春、行ったときは、トンチンカンではあったが、話もできたのに、もうそんなに弱まってきたのか。叔父より2歳下なので、94歳だし仕方ないか。「延命治療やらない」と身内で決めた。叔父の四十九日に行く前に、様子を見に行った。もう寝たきりと思いきや、看護士さんが着替えさせ、車椅子に乗せて、面会室に連れてきた。もう話はできなくなっていたが、まだすぐには逝きそうにない。思いのほか元気だ。これなら2,3ヶ月は持ちそうではないか。少しホッとして帰宅した。後見人を委嘱している人から連絡があり、万一のときは葬儀等の段取りはしてくれるとのこと。叔母の最後は、これまでの不義理の罪滅ぼしもあり、きちんと送り出しの面倒はみようと思う。

      
       写真左・叔母近影           写真右・さくらホーム     
  

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2 月

2月22〜23日 奥志賀でのスキー

阿波踊り・中々連の仲間とスキーに出かけた。生まれも育ちも違う7人の男女が阿波踊りで知り合い、その中でさらにスキーという共通項でまとまった仲間だ。今年は徳島生まれ、新潟の大学で学び、白馬黒菱のレストランでアルバイトしたときにスノボーにはまったという横田君も参加した。私は新潟生まれ、大阪にいたとき阿波池田へ行って阿波踊りを覚えた。横田君は徳島生まれ、新潟に来てスノボーを覚えた。お互いの故郷をひっくり返したようで面白い縁を感じた。
22日は晴れて、楽しく滑れた。23日は曇っていたが、滑りに支障なしと、奥志賀から焼額、一ノ瀬、寺子屋、東舘、ジャイアント、丸池を越えて、志賀高原の入り口、サンバレー(法坂)まで滑っていった。
途中で雪が降りだし、寒くなってきたが、がんばった。帰りも滑って帰ろうと、西舘、高天原を滑ったが、焼額で時間切れ、最後はバスで帰還した。このコースは同じ斜面を2回滑らないというバラエティ豊かなスキーが楽しめ、みな満足であったが、気が付いたのはスノボーは縦に滑るには問題ないが、横に動くのは結構大変だということ。横田君は苦労してついてきてくれたが、「来てよかった」のひと言にホッとした。
帰る日はこれ以上ないというほどの好天だったが、スキーはせず、矢田さんが持ってきたドローンを奥志賀の空に飛ばし、撮影を楽しんだ。

      
    写真左・晴れた午後のスキー       写真右・ドローンでの撮影
  

2月17日 日野稲門会新春懇談会

私が地元の稲門会に出るのは、先月のスキーと新春懇談会だ。6月の総会にはこのところ海外旅行と重なり、失礼している。日野に稲門会ができて40周年とかで、今日は午前中に「最後の早慶戦」の映画があった。以前、映画館で見たことがあったが、観客全員ワセダという中で見る「最後の早慶戦」は母校愛あふれる雰囲気の中なので感慨深いものがある。終わったとき、涙している先輩も何人かいた。
この映画の中で、慶応の小泉塾長の戦時とはいえ、リベラルな姿勢を貫く姿には感銘を受けた。そこへいくと、早稲田の田中穂積総長の政府をおそれて、決断できない姿勢は時勢とはいえ、頂けない。
飛田穂洲監督の「学徒動員される部員にはなむけを」との一念で強行突破する姿が頼もしかった。勝負では早稲田が勝ったが、試合でというよりその前の取り組み方では慶応が勝っていた。いかにも慶応と早稲田の校風が如実に表れた映画であった。

      
    写真左・最後の早慶戦上映        写真右・日野稲門会メンバー
  

2月9日 スノーシュー・13年の歴史に幕

蓼科に山荘を開いたときからやっていた早大岳文会OBスノーシューハイキングは今年をもって終了した。と言っても、今年はやれなかった。参加者がなかったからだ。毎年、開催日直前まで申し込みOKにしていると、前日になるとヒョコっと現れる人もいたのだが、今年は皆無であった。私も後期高齢者になり、OB会の幹事も昨年秋で辞したこともあり、これが区切りと思い、終了することにした。
13年間の足取りは下記のとおりだが、思い出に残るのは、冬の上高地のすばらしさだ。4回ほど行き、天候に恵まれなかったときもあったが、晴れたときの冬の上高地から仰ぐ白銀の穂高の姿は神々しく、去りがたい思いになった。麦草峠は山荘から近く、よく行った。途中の森と雪原のコンビネーションはクリスマスカードのような景色が続き、スノーシューハイキングには最適の場所だった。夏はよくても、スノーシューに向かないのは霧ヶ峰だ。雪に覆われた雪原は白一色でガスると、方向がわからなくなる。蓼科の山荘をベースに行った冬の信州の山や高原、いずれも思い出深く、岳文仲間との語らいが楽しい集まりだった。

      
    写真左・初めての頃(縞枯山)       写真右・上高地(2016年)
  


 
2006年 縞枯山〜五辻(参加者5名)
 2007年 麦草峠(6名)
 2008年 霧ヶ峰(10名)
 2009年 上高地(10名)
 2010年 八子ヶ峰、乗鞍高原(7名)
 2011年 麦草峠(6名)2012年 入笠山(7名)
 2013年 上高地(13名)
 2014年 ドロミテスキーのため中止
 2015年 麦草峠(6名)
 2016年 上高地(9名)
 2017年 上高地(2名)この年は3月に実施
 2018年 麦草峠(5名)

      
     写真左・雪原を歩く          写真右・歩いたあとのひととき
  

2月6日 あさま2000でのスキー

浅間山隣の高峰高原の「あさま2000」というスキー場へ行って、滑ってきた。行ったことのない信州スキー場めぐりの一環。小諸の町からグングン上って、標高2000mの所にスキー場がある。ほとんどが群馬県側だ。
下ると北軽井沢のレタス畑一帯だ。コースが3,4ヶ所あり、傾斜もほどよく滑りやすいが、どれも短くてすぐ終わる。雪も人工雪特有の硬さで、スピードは出るが、カチンカチンして気持ちよくない。天候は晴れているが風が強い。2000mの高さは寒い。午前中1時間くらい滑ったら、すべて滑り終え、リフト券の元もとれたので、カレーうどんを食べて帰ってきた。途中、雷電為衛門も道の駅に寄り、雷電最中が売っていたので、お土産に買った。蓼科に戻り、鹿山の湯に入って、スキーの疲れを癒した。夜はアジフライでビールを呑んだら、ほどよい疲れで9時過ぎには寝てしまった。

           
    写真左・あさま2000スキー場         写真右・雷電記念館
  

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1 月

1月31日 叔父死して、警官敬礼

新潟の村上で医者をやっていた叔父が96歳で亡くなった。春になったら会いに行こうと思っていたが、ちょっと早い最後だった。小さい頃から私を可愛がってくれた叔父なので、別れはつらい。志賀のスキーから帰ってきて、妻と一緒にすぐに汽車で村上へ行った。通夜も告別式も、ベルホール会津屋という葬儀場だった。田舎の医療に長年従事していたので、おおぜい集まった。警察の検視医も長くやって、警察庁長官賞をもらったこともある。火葬場へ向かう途中、霊柩車は村上警察署に寄った。おおぜいの警察官と職員が一斉に敬礼し、見送ってくれた。感動ものである。段払いの宴で、村の人は「テレビのドラマのようだった」と感激していた。夜中に呼び出され、事故の現場にパトカーで連れていかれた姿も、私が帰郷時に見たこともある。こんな苦労へのお礼の敬礼だったのだろう。誰も気が付かないうちに旅立った叔父への最良の送別だった。

      
      写真左・叔父の葬儀         写真右・私の花も
  

1月28日 今年も最若手の私、稲門スキー

日野稲門会のスキーは5年目だろうか。奥志賀に集まる面々は変わらず、私は今年も最年少。この前の極楽スキーでは長老なのに、こちらでは下働きである。「ハイ、ビール。ハイ、ワイン」と忙しい。みんな80歳近い後期高齢者なのに元気である。着いた昨日は、雪で、奥志賀のリフトは動かなかった。それではと、バスで焼額に行って、昼食を食べて、何本か滑って、またバスで帰ってきた。今日はまずまずの天気で、奥志賀からサンバレーへ向かった。焼額、山の神、ダイヤモンド、一瀬、東館、ぶな平、西舘、ジャイアント、蓮池、丸池と滑りつないで、サンバレーのレストラン・グリーンに昼過ぎに到着。私は生ビールとスパゲッティでゆっくり昼食。帰りは二人は滑って帰るというが、残りの4人は焼額までバス、そこから滑って奥志賀へ戻った。このロングツァーで、みんな十分、滑った気分になったようだ。いつまでも若々しく滑っていただきたい稲門会スキーである。

      
    写真左・稲門スキーの面々          写真右・奥志賀の冬
  

1月25日 小林旭のペンションは立派

極楽スキーの今年の宿舎はコンテ・デ・ネージュ。今までのオードヴィーから追い出されてここになった。オーナーが変わり、「遅くまで騒ぎすぎる。スキー靴で階段を上がっていく人がいる」とで、今年は断られてしまい、幹事が変わるべき宿を探してここになった。経営者は小林旭のペンションだ。管理を任されている木林さんは、ベルサルームズのオープン・パーティのときに手伝ってくれた人で、奥志賀勤務は長い。けれども我々には縁がうすいペンションだった。快く引き受けてくれた。初めて入る建物はがっしりしていて、造りは立派である。食事は洋食フルコース、味もよくおいしい。白ワインは好みのシャブリ。お風呂も広く、快適。窓外の白樺林も夜はライトアップされ、雰囲気はいい。来年もここでの声は多かった。ここを追い出されたら行くところはないのだから、羽目はずさぬように振舞ったつもりだが・・・。唯一の難は、部屋のトイレがウォシュレットでないことだ。

      
  写真左・フルコースの洋食ディナー      写真右・小林旭の肖像画
  

1月20日 中々連は前途洋々

中々連の新年会。昨年の高円寺阿波踊りは盛大だった。100名近い人が踊った。中々連始まって以来の大人数だった。この勢いが続いているのか、新年会も50名を超す集まりになった。若い人が増えているのは頼もしい。姉妹連になった武蔵中々連に若い人が多いのがその要因だ。今年の新座の成人式に出た連員もいてその縁で阿波踊りの依頼もあり、みんなで踊ったという。武蔵中々連は毎週、練習し、やる気のある中々連のメンバーも練習に参加している。年3回の練習で、高円寺本番に出る本家中々連とは心構えが違うのだ。それでいいと思う。「やる気ある人は武蔵中々連へ、ほどほどでいい人は中々連へ」、自然にロートルの本家、ヤングの分家の構図が出来上がりつつある。

      
     写真左・中々連新年会           写真右・最後はひと踊り
 

1月9日 雪の八ヶ岳遠望

東京へ帰るとき、エコーラインを走っていたら、青空の中に白銀の八ヶ岳が美しく並んでいた。三日前来た時は、まだ黒々していた山が、昨日からの降りで白く変わったのだ。やはり冬の山はこれでなければならない。右端の編笠山から権現岳、赤岳、重なってしまう阿弥陀岳、横岳、硫黄岳の南八ヶ岳連峰、そこから左へ続く天狗岳、茶臼岳、縞枯山、北横岳の北八ヶ岳の山々、そして左端の蓼科山。この連なりの八ヶ岳連峰はそんなに大きな山ではないのに、その形が美しいのだ。アメリカのグランドティトンの山並に似ている。八ヶ岳の野で「シェーン、カムバック!」と叫ぶと、アラン・ラッドが馬に乗って駆け寄ってくるようだ。

      
   写真左・阿弥陀岳(右)から横岳へ      写真右・蓼科山(左)と北横岳
    

1月9日 雪来た!蓼科

昨日からの雪模様で朝、起きたら、朝日の中に真っ白に庭は輝いていた。積雪は10cm程度と思うが、庭に黒い物が見えなくなるのは気持ち良い。今年は、蓼科に山小屋を建て14年経っているのに、こんなに雪が降らない冬は初めて、というくらいなのだ。寒いのに雪降らず、西高東低の気圧配置の関東型の天気を引き継いでいた。このまま春になるかな?と思っていたが、やはり雪は来た。これでなければ冬でない。昨日、白樺高原スキー場で今年の初すべりをやったが、スキー場は白いのに、周囲は黒い。何となく違和感を感じながら滑ったが、これでようやく冬になった気がする。

      
    写真左・裏からの雪の山荘          写真右・雪が来た山荘
  

1月5日 八坂神社へ初詣

正月は毎日、食べて、呑んで、テレビを見て、ばかりだったので、体がなまってしまった。体力回復のためにもと妻を誘って、初詣ウォーキングに出かけた。百段階段を上り、中央高速道路沿いに北へ向かい、高速道の陸橋を渡って、明治天皇検閲台(陸軍の訓練場)を通って、下りて、旧甲州街道日野宿・西の入り口にある地蔵様にお参りして、八坂神社へ。初詣客がそこそこいて、拝殿へは列になっている。この1年の家族の健康と幸せを祈願して、帰ってきた。少しは運動になったかな?

      
   写真左・旧甲州街道西の地蔵        写真右・八坂神社参拝の列

1月1日 おせちの目玉はタラバガニ

去年の正月おせちは景ちゃんが頼んだすしざんまいのおせちだった。今年はセットは頼まず、近くの角上魚類で好きなものを買ってきて盛り合わせることになった。妻と景ちゃんで出かけて、いろいろなものを買ってきた。その目玉はタラバガニだ。大きな足を何本か買ってきてくれた。身をむしり出すのにも苦労するほど大きい。身がしまっていて、すこぶるおいしい。こまごましたおせちより、こんな大物ひとつの方が味わい深く、楽しめる気がする。タラバガニおせちは最高である。

      
     写真左・タラバガニがメイン       写真右・今年のおせち料理
  

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