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2012年 |
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4 月 |
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4月8−18日 桜三題 |
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井の頭公園(8日) |
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昨年は震災で流れた井の頭公園の中々連花見、今年は実施。ちょうど満開になり、天気も晴れで絶好の花見日和。吉祥寺駅から公園への道は朝から人でいっぱい。いつもの場所、池の反対側へ渡る弁天橋も大渋滞。それでも連長が朝早く確保してくれたスペースはゆったりしていた。昼過ぎから三々五々集まってきた踊りのメンバーも20人くらいになり、花見の宴は盛り上がった。
頃合いを見計らい、阿波踊り開始、鉦や太鼓は止め、笛と三味線で踊った。これまでは警備員が「踊りはダメ」と止めに入り、そのたびにひと悶着あったが、今年は全然来ない。我々が踊るだけでなく、周りの花見客も飛び入りで入り、盛り上がり、皆な楽しんでいるのだから、何が悪い!というのが我々の論理で、毎年、警備員ともめていたのが、今年はそれもなく、とても楽しい。満開の桜の下で夕方まで飲み、踊り、楽しんだ。

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新宿御苑(12日) |
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井の頭公園から数日後、ザ・ニュースペーパーのライブを見に行く前に、新宿御苑に立ち寄った。公園内ではアルコール禁止とかで、入口で手荷物検査をやっていた。前の中国人の娘さんたちは酎ハイ缶を取り上げられていた。可哀想。満開をちょっと過ぎ、桜吹雪舞っていたが、この雰囲気もまた良い。しだれ桜はちょうど見頃、平日の夕方で人出は多く、外人の姿も多い。公園の外のビルを背景に咲き誇る桜、江戸の時代、ここは高遠藩の江戸表屋敷、昔と今がみごとに調和した感じだ。ここの桜を見て、甲州街道を高遠に帰った殿様は、城郭で再び高遠のコヒガン桜を愛でたことであろう。今年の高遠の桜の満開は22日であった。

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山高神代桜(18日) |
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蓼科に行く途中、中央高速の須玉で下り、甲州街道に出て、山高神代桜を見に行った。いつもの年なら4月初めが見頃らしいが、今年は遅いと聞いていた。
実相寺という寺に咲く、樹齢2000年とも言われる日本でもっとも古い桜。
何本もの支え棒に支えられているが、いっぱい咲いていた。この木の子桜も境内に育っているので、ちゃんと歴史はつながれている。満開の桜の向こうに甲斐駒ケ岳の姿も、雪の斜面を覗かせていて美しい。甲斐の山里に咲くこの桜は、武田信玄の何度にもわたる信濃攻めの行軍を見ていたことだろう。

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4月19日 山荘の早春 |
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この春の山荘は、モミの木の防鹿網張りで始まった。蓼科にも日本鹿やカモシカが増え、その食害に悩まされるようになった。アナベルも花が蕾のうちに食べられ、咲かなくなった。去年は、網をかけ花が咲き始めた頃、網を外したら、その咲き始めた花を食べられてしまい、残った花は3ケだけという悲惨さだった。
そしてクリスマスツリーから育ったモミの木の樹皮が次にやられた。樹皮をはがして食べるため、樹の芯が出てしまいこのままでは枯れてしまう。これには網を張り、鹿の侵入を防ぐしかない。雪が消えた今、杭と防御網を農協から買ってきて張り巡らした。隣に新しい別荘の建築工事が始まった。数本の木を切って、丸太にして積み上げてあった。欲しいなと思い、工事をやっている作業員に聞いたが、「わからない。きちんと切っているから、薪ストーブに使うのではないか」と言う。残念。

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4月22日 中山晋平記念館 |
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奥志賀での春スキーの帰りに信州中野の中山晋平記念館に寄った。昔は新野村という小布施に近い山里だった。飯山に近い豊田村は「故郷、おぼろ月夜」の作詞家・高野辰之のふるさと。どちらも今は、中野市に合併されたので、奇しくも日本の代表的な作詞家と作曲家を輩出した市になった。中山晋平は何となく早稲田大学に縁のある作曲家と思っていたが、記念館に来てわかった。早大教授の島村抱月の書生となり、東京音楽学校を出て、カチューシャの歌、ゴンドラの歌などを世に出し、早稲田出の北原白秋、西條八十、相馬御風の作詞で数多くの唱歌、童謡、民謡を世に出した。御風は新潟出身なので、十日町小唄など民謡だけでなく、新潟県内の学校校歌も数多く晋平は作曲していた。私の村の近くの岩船や女川の小学校の校歌や女房が出た新潟鏡が淵小学校の校歌も作っていた。早稲田だけでなく、新潟にも縁の深い作曲家だった。

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3 月 |
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3月26日 思いがけない新雪 |
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3月末なのに、真冬なみの雪になり、それも軽い乾燥粉雪。
スキーヤーにとってはこのうえない日になった奥志賀。いつもなら帰るだけの最終日なのだが、新雪滑りを楽しむことにした。
朝早くの奥志賀エクスパートコースは人も少なく、新雪はたっぷり残っている。雪が舞う中を、快適に滑る。昨日まで、足に抑えが効かなくなってきたようで、この斜面はスピードが出て怖かったが、
今朝の新雪の斜面は、降り積もった雪でほどよくスピードが抑えられ、スムーズに滑れる。ゴンドラ下の斜面も楽しい。
隣の焼額の奥志賀ゴンドラへ連絡する斜面は、さらに人が入っておらず、新雪たっぷりだ。ここもほどよいスピードで、雪の中をターンする。スキーに情熱が薄れたとはいえ、こんな日の快適な滑りをすると、また意欲が出てくる。4月末に打ち止めの春スキーをやることにして奥志賀を離れた。 |
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3月16日 野沢温泉・住吉屋 |
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奥志賀を下りて、唱歌「ふるさと」の作詞者・高野辰之氏の生家を見て、野沢温泉に来た。
泊まりは住吉屋、名旅館の呼び声高い宿である。スキーはやらない。温泉ざんまいだ。雨が降っていて外湯めぐりはあきらめ、内湯でゆっくり体を温めた。風呂上がりはコタツで夕食まで昼寝。
楽しみの食事は取り立てて豪華ではないが、一つ一つ味がある。ジャガイモを千切りにして甘酢で合えたものが出てきた。食べてみて、思い出した。これは小さい頃の冬によく食べた味だ。
新潟の田舎も雪深く、冬の食事は保存できる野菜が中心、ジャガイモなど常食だった。甘酸っぱい白いジャガイモの千切り、冬の味。すっかり忘れていたが、ここ住吉屋で食べて、故郷の冬の食卓を思い出させてくれた。名旅館というのは、至れり尽くせりのサービスではない。こんな素朴な料理を出してくれることや、さりげない気配りだと思う。
帰宅して、忘れ物ですよと、妻が置いてきた洗顔スポンジを送ってきた。奥志賀のブルーエの洗面台にあった物で、どうってことない物なのに、わざわざ送ってくれた。こんな気配りが「また行きたい」と思わせるのだ。

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3月15日 奥志賀のスノーシュー |
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今日は時折、日が指すが雪も少し舞う。三輪さんと奥さんも一緒に、スノーシュー・ハイキングに出かけた。
グランフェニックスでスノーシューを借り、奥志賀のゲレンデ沿いに少し歩き、森の中に入っていった。しばらく林の中を下ると、歩いた後のトレースがあった。昨日あたりにスノーシューをやった人がいたようだ。それを追いかけ、登っていくと、堰堤のような所に出た。トレースは堰堤を越え、対岸の林の中に登っていく。我々もそれを辿った。ほどよい深さの雪、歩きやすい。白樺と岳樺が混じる林は日がさすととてもきれいだ。尾根に上がり、それ沿いを少し下ると、林の切れた所に出た。風も強くないので、そこで昼食をということになった。三輪さんが雪を踏み固めて、テーブルのような形にした、その真ん中を掘り、ストーブを置いて、湯を沸かして、スープを作った。シャンパンで乾杯し、持ってきたサンドイッチを食べた。
スノーシューの至福のときである。時折、風が吹いて雪を巻き上げるが、春近い日差しは暖かい。食べ終わって、ちょっと下ったら、保養所の地区に出た。ここからは自動車道を歩いて帰ってきた。
2時間ちょっとの歩きだったが、とても楽しかった。

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3月14日 オーベルジュ・ブルーエ |
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奥志賀のペンション・ベルサルームズがオーベルジュ・ブルーエに大変身したこの冬、初めて泊った。部屋の設備もよくなり、料理も岸シェフのフランス料理と、衣替えしたが、値段も高くなったため、お客が減り、大変と聞いていたので、ささやかながらの妻と一緒の応援宿泊だ。噂のラグジュアリールームに泊まり、展望風呂も楽しんだ。奥志賀の高原に広がる山並みと別荘地を望める展望風呂は素晴らしいのだが、お湯を張るとガラスが曇り、肝心の景色が見えなくなる。ローラーでガラスを拭いてもすぐ湯気で曇ってしまう。夏なら展望を楽しみながら入浴できるだろうか?
もうひとつの噂のフレンチ・フルコースの夕食。前菜二品、スープ、魚料理、肉料理、デザート二品と、盛りだくさん。ひと皿の量は少なく、どれも美味しく頂ける。それでもフルコースが終わると、おなかいっぱいだ。さすがに岸シェフが自慢のコースだけに素晴らしい。一度来て満足された客はファンになってまた来るそうだ。
志賀高原に行ったら、ぜひ寄っていただきたい。

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2 月 |
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2月24日 苗場の今 |
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友人のまた友人が所有しているマンションに泊って苗場で滑った。苗場でちゃんと滑るのは、20年ぶりくらいかもしれない。
ゴンドラができたとき、神楽三俣からちょっと来たことはある。一番の気がかりは、客の減り方だ。平日でもあるし、1月に行った岩原のように閑散としているのではないかと危惧していた。
天気はガスが上がりつつあり、だんだん良くなってきた。いくつかのリフトやゴンドラは運休しているが、筍山のてっぺんまでに行くルートは確保されている。それらのリフトやゴンドラには長い行列があった。昼食に入ったカフェテリアも席を探すのに苦労したほど、いっぱいだった。さすが苗場!昔の賑わいには及ばないが、結構賑わっている。明日の土曜になれば、もっとスキーヤーは多くなるのだろう。肝心のスロープは、このところの雨の影響か、ガリガリで滑りにくいが、それでも谷間越しのコースは人も少なく、初めはファーストランのような圧雪したばかりの斜面を気持ちよく滑れた。久しぶりの苗場は楽しかった。友人との酒も楽しかった。

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2月22日 Positive
Off |
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Positive
Offセミナーに参加した。観光庁主催で日経が後援している。Offは休むこと、Positive
Offとは、「積極的に休みをとろう」ということである。なぜ観光庁が主催するかというと、休暇をとって旅行して、日本の観光を活発にしたいという狙いがあるようだ。
欧米は夏も冬も長期に休んで、バカンスを楽しむというのが一般的だ。日本も有給休暇を消化して、ワークライフバランスを活性化させたい方向だ。Positive
Offを推進する協議会もあり、今日の催しも経団連と連合が後援する、労使一体の運動のようだ。と言っても、休暇の消化は個々の会社と個人に任されているので、そう簡単ではない。高島屋や第一生命の活動なども紹介されたが、まだまだ限定的だ。法政大学の先生が「休暇をとるとらないは個人の勝手だから、それを国が後押しするのは如何なものか?」という発言もあったくらい、考えもマチマチだ。周りを見て、自分の行動を決める日本人の習性からすると、全体がそう動かざるを得ない仕組みを作ることが早道と思う。労働基準法で有給休暇取得を義務化して、罰則を設ける。これは企業にも労働者にもペナルティを課す。未消化休暇は経費計上し、利益を減らす会計制度にする。
こうすれば、会社も個人も休暇をとらざるを得ない。欧米の多くの国はこのようにして、休暇をとることを後押ししている。日本は制度だけはあるが、罰則規定がなく、当事者任せになっていることが問題なのだ。休みをとって、自分の生きる道を見つけることが、これからの日本には必要なこと。大賛成な運動ではある。
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2月20日 エプソン水族館 |
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品川のプリンスホテルの中に水族館がある。娘が会社の新年会のビンゴでもらった”視察券”で妻と行ってみた。ホテルの奥深く、映画館のある辺りにあった。ここには以前、「剣岳点の記」を亡くなった小林さんたちと見に来たことがあった。水族館に入ると、エイやサメが天井に泳ぐ回廊。大きなエイが水槽天井に張り付いている。お腹に目がついているのがエイ、先についているのがサメだそうな。イカの餌を食べる光景が面白い。エイは先や斜め下が見えないらしく、目の前を浮遊しているのに、サメに奪われてしまう。やっと口に入れることができると拍手が起こる。
アザラシとイルカのショーもあった。イルカは大きなプールでの演技。ビルの中によくぞ大きなものを作ったものだ。トレーナーの合図に従い、水面を飛び跳ねるたびに観客席に水しぶきが飛んでくる。終わるたびにトレーナーにすぐ近づき、餌をもらっている。この餌の上げ方で演技内容を指示しているのだろうか?都会の中の水族館は楽しい。

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2月11日 入笠山ハイキング |
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この冬も恒例・岳文OBスノーシュートレッキングを実施。富士見パノラマスキー場から入笠山へ歩くことにした。連休のパノラマスキー場は大変な人出。
駐車場も下の方、そこからシャトルバスで上がり、ロープウェイに乗った。下り場から入笠湿原に向かった。このところ降雪もなく雪は締り、スノーシューを履く必要はなさそう。湿原への下りはカリカリに凍っていて滑りやすい。スノーシューよりアイゼンがあったら楽だったろうに。マナスル山荘から頂上への道に入った。この辺で、夏来たときのコースを思い出した。あのときはここまで車で上がってきた。今日はよく晴れていて、冬とは言えど、頂上へ向かう道は登山者でいっぱいだ。頂上からの眺めはすばらしい。ことのほか、富士見高原を挟んでの八ヶ岳連峰は美しい。風を避けて斜面の窪地で、お湯を沸かし、スープを入れ、夕べ作ったサンドイッチを頬張る。暖かいスープは美味しい。真正面に富士山がある。帰りは首切り地蔵への道を選び、途中で車道に出て、入笠湿原へ戻って来た。結果的にスノーシューは使わずじまいに終わった。帰りのロープウェイがトラブルで運行不能となり、ゲレンデを下りる羽目になった。パノラマスキー場は人工雪で硬く、急斜面が続くことで有名。ここを歩いて下るのはしんどそう。リフトの係員に聞くと、2時間か2時間半などと言う。「エラいことになったぞ」と思ったが、歩く他ない。急な斜面はカカトから下りる。後半になって転んだ。そのとき、立ち上がるより、そのまま尻セードで滑った方が楽ではないかと思った。これは大正解で、右足のカカトでスピードをコントロールしながら、下まで滑り下りた。背中に雪もそんなに入らなかった。これなら最初からやっておけば良かったと思ったほど。ゲレンデ歩きは、上から下まで1時間強だった。約5キロのダウンヒルまで歩きが追加されたので、ぐったりと疲れた。今宵の酒はうまいぞ!!
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1 月 |
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1月
28日
新雪まみれ |
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毎年恒例の極楽・奥志賀スキー合宿。この冬は少し少ない21名がペンション・オードヴィーに集まった。月曜から志賀高原に入っていたTony
Wong家族も一緒だ。香港からの参加。エラい陽気で歌好きな夫婦だ。ギター持参で、日本の歌も結構知っていて、涙そうそうやコスモス、手紙など日本語で歌う。みんなも一緒に大合唱だ。昼はこのところの大雪で圧雪できないスロープばかりの志賀高原を滑った。ほとんど新雪滑りだ。楽しいがとても疲れる。そして宿に帰ってきて酒々でまた疲れる。四日間終ったらぐったりだった。でも楽しかった。
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1月21日 東京支社同窓会 |
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YHPに勤めていた時代、西新宿のセンチュリーハイアットに隣接した第一生命ビルに東京支社という組織があった。1980年代の後半の数年間、私はここにいたことがあった。その後、会社は二つに分れ、東京支社もなくなったが、良き、楽しき時代を懐かしもうと、今ではハイアットリージェンシーと名前も変わった隣のホテルに100名以上の仲間が集まった。ほとんど1990年から会ってない人たちで、20年を過ぎた今、女性も面影を残しながら、皆、歳をとっていた。業務部という女性中心の組織だったので、入れ替わりが激しく、名前を聞いて、ようやく思い出す人もいた。いずれにしても、恩讐を超えての再会はいいものだ。

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1月15日 粗大ゴミ |
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スキーも行かず、蓼科にも行かず、東京にいると、すこぶる暇だ。以前は仕事もそこそこあったので、都心に出かける機会もあったが、やめてしまった今、東京の自宅にいるとやることがない。図書館に行って本を借り、読んで、返してまた借りる。これが日課のようになる。二日に一回、行ったことのない方角に歩いてみる。東京の家では、食事の後の皿洗いが日課になった。それでも時間が余る。都心での会合があると出かけて行くが、酒付きとなると翌日は疲れて、朝起きるのもつらい。日々の時間を過ごすことに頭を痛めるなんて、今まで考えられなかった。山荘にいれば、朝から晩まで何かとやることが出てきて忙しい。その日々が懐かしい。仕事をやめ、家でブラブラして、粗大ゴミと奥さんから揶揄される旦那の気持ちがわかるようになった。
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1月
12日
桜新町 |
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桜新町はサザエさんの町だ。京王線・下高井戸から東急・世田谷線に乗り換えて、妻と行ってみることにした。妻にとっては初めての世田谷線、チンチン電車の趣きのある可愛らしい電車だ。環七だろうか大きな道路では電車が信号待ちする。時刻調整はどうするのだろうかと人ごとながら気になる。三軒茶屋で乗り換え、桜新町でおりた。サザエさん一家のイラスト案内で長谷川美術館に向かった。途中の酒屋さん、米屋さんはサザエさんの漫画に出てくるお店やさんだったのだろう。美術館はとても立派。長谷川町子さんが集めた平山郁夫さん等の名画を見てもらおうと造ったものだが、一画にサザエさん展示室もある。こっちが私達の目的。フクニチ時代の最初の頃のものから、最後の作品まで、その時代や長谷川一家の背景を説明していて、とても面白い。隣には長谷川家の大きな屋敷がある。姉妹社の妹さんは、今でもここに住んでいるのだろうか?
長谷川家の坂を下りた所にソバ屋があった。ここで鍋焼きうどんを食べた。
サザエさん一家もここから出前をとっていたのだろうか?

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1月10日 わが久恋いの岩原 |
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あまりにも暇をもて余すので、スキーに行きたくなった。勤めているのは無理だから、シルバーの友、久米田に電話した。日帰りならOKというので、岩原(いわっぱら)に行くことにした。岩原は学生時代に山小屋を借りて入り浸っていた所。湯沢のインターからも近いし雪も多い。久恋いのスキー場である。久しぶりに来てみて驚いた。スキーブームの頃、奥添地方向に広げた広大なゲレンデが閉鎖になっている。岩原ゴンドラも今はもうない。これだと、学生時代の頃と広さが変わらないではないか。第三リフトまでのだだ広い斜面と隣の第八ゲレンデ。
第八は急斜面なので面白いのだが、今日はガスがかかっていて中腹から上は見えない。行っても五里霧中で面白くなかった。第三からひたすら滑る。
学生時代はこれでも面白かったのだが、今はすぐ飽きてしまう。昔は芸能人の多いスキー場だった。加山雄三のお父さん・上原謙が経営する岩原スキーロッジが目玉で、ここに多くのスターが集まっていた。ザ・ピーナッツ、フランキー堺、三木のり平、芦川いずみ…、いっぱい来ていた。スキーロッジが無くなってから、普通のスキー場になってしまった。思い出だけはいっぱいある。
とても寂しく、悲しい気持ちでスキーを終えた。「いい時代だったなあ・・・」
(写真左・昭和30年代の岩原スキー場、右・その当時の岩原スキーロッジ)

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