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小田山荘・蓼科高原ゲストハウス
 
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蓼科日記

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蓼科・東急リゾートタウン
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ワークプレイス蓼科日記

信州蓼科高原は、標高1450mにあり、夏涼しく、冬寒いの四季折々のリゾートでの楽しみ方ができます。
ゲストハウスは、から松、白樺、クリ、コブシ、モミなどの木などがいっぱい森の中にあります。
シジュウカラ、カケス、ウグイス、イカル、アカハラなどの野鳥やリスたちが、えさを求めて庭にやってきます。
こんなところにワークプレイスがあります。

毎月、ワークプレイスよりライフスタイル(日々の活動)をお送りしています。

<2019年>

 [1月] [2月] [3月] [4月] [5月] [6月] [7月] [8月] [9月] [10月] [11月] [12月]

 <2004年> (2004年分は、こちらからリンクします。)

 <2005年> (2005年分は、こちらからリンクします。)

 <2006年> (2006年分は、こちらからリンクします。)

 <2007年> (2007年分は、こちらからリンクします。)

 <2008年> (2008年分は、こちらからリンクします。)

 <2009年> (2009年分は、こちらからリンクします。)

 <2010年> (2010年分は、こちらからリンクします。)

 <2011年> (2011年分は、こちらからリンクします。)

 <2012年> (2012年分は、こちらからリンクします。)

 <2013年> (2013年分は、こちらからリンクします。)

 <2014年> (2014年分は、こちらからリンクします。)

 <2015年> (2015年分は、こちらからリンクします。)

 <2016年> (2016年分は、こちらからリンクします。)

 <2017年> (2017年分は、こちらからリンクします。)

 <2018年> (2018年分は、こちらからリンクします。)
 

2019年

1 月

1月31日 叔父死して、警官敬礼

新潟の村上で医者をやっていた叔父が96歳で亡くなった。春になったら会いに行こうと思っていたが、ちょっと早い最後だった。小さい頃から私を可愛がってくれた叔父なので、別れはつらい。志賀のスキーから帰ってきて、妻と一緒にすぐに汽車で村上へ行った。通夜も告別式も、ベルホール会津屋という葬儀場だった。田舎の医療に長年従事していたので、おおぜい集まった。警察の検視医も長くやって、警察庁長官賞をもらったこともある。火葬場へ向かう途中、霊柩車は村上警察署に寄った。おおぜいの警察官と職員が一斉に敬礼し、見送ってくれた。感動ものである。段払いの宴で、村の人は「テレビのドラマのようだった」と感激していた。夜中に呼び出され、事故の現場にパトカーで連れていかれた姿も、私が帰郷時に見たこともある。こんな苦労へのお礼の敬礼だったのだろう。誰も気が付かないうちに旅立った叔父への最良の送別だった。

      
      写真左・叔父の葬儀         写真右・私の花も
  

1月28日 今年も最若手の私、稲門スキー

日野稲門会のスキーは5年目だろうか。奥志賀に集まる面々は変わらず、私は今年も最年少。この前の極楽スキーでは長老なのに、こちらでは下働きである。「ハイ、ビール。ハイ、ワイン」と忙しい。みんな80歳近い後期高齢者なのに元気である。着いた昨日は、雪で、奥志賀のリフトは動かなかった。それではと、バスで焼額に行って、昼食を食べて、何本か滑って、またバスで帰ってきた。今日はまずまずの天気で、奥志賀からサンバレーへ向かった。焼額、山の神、ダイヤモンド、一瀬、東館、ぶな平、西舘、ジャイアント、蓮池、丸池と滑りつないで、サンバレーのレストラン・グリーンに昼過ぎに到着。私は生ビールとスパゲッティでゆっくり昼食。帰りは二人は滑って帰るというが、残りの4人は焼額までバス、そこから滑って奥志賀へ戻った。このロングツァーで、みんな十分、滑った気分になったようだ。いつまでも若々しく滑っていただきたい稲門会スキーである。

      
    写真左・稲門スキーの面々          写真右・奥志賀の冬
  

1月25日 小林旭のペンションは立派

極楽スキーの今年の宿舎はコンテ・デ・ネージュ。今までのオードヴィーから追い出されてここになった。オーナーが変わり、「遅くまで騒ぎすぎる。スキー靴で階段を上がっていく人がいる」とで、今年は断られてしまい、幹事が変わるべき宿を探してここになった。経営者は小林旭のペンションだ。管理を任されている木林さんは、ベルサルームズのオープン・パーティのときに手伝ってくれた人で、奥志賀勤務は長い。けれども我々には縁がうすいペンションだった。快く引き受けてくれた。初めて入る建物はがっしりしていて、造りは立派である。食事は洋食フルコース、味もよくおいしい。白ワインは好みのシャブリ。お風呂も広く、快適。窓外の白樺林も夜はライトアップされ、雰囲気はいい。来年もここでの声は多かった。ここを追い出されたら行くところはないのだから、羽目はずさぬように振舞ったつもりだが・・・。唯一の難は、部屋のトイレがウォシュレットでないことだ。

      
  写真左・フルコースの洋食ディナー      写真右・小林旭の肖像画
  

1月20日 中々連は前途洋々

中々連の新年会。昨年の高円寺阿波踊りは盛大だった。100名近い人が踊った。中々連始まって以来の大人数だった。この勢いが続いているのか、新年会も50名を超す集まりになった。若い人が増えているのは頼もしい。姉妹連になった武蔵中々連に若い人が多いのがその要因だ。今年の新座の成人式に出た連員もいてその縁で阿波踊りの依頼もあり、みんなで踊ったという。武蔵中々連は毎週、練習し、やる気のある中々連のメンバーも練習に参加している。年3回の練習で、高円寺本番に出る本家中々連とは心構えが違うのだ。それでいいと思う。「やる気ある人は武蔵中々連へ、ほどほどでいい人は中々連へ」、自然にロートルの本家、ヤングの分家の構図が出来上がりつつある。

      
     写真左・中々連新年会           写真右・最後はひと踊り
 

1月9日 雪の八ヶ岳遠望

東京へ帰るとき、エコーラインを走っていたら、青空の中に白銀の八ヶ岳が美しく並んでいた。三日前来た時は、まだ黒々していた山が、昨日からの降りで白く変わったのだ。やはり冬の山はこれでなければならない。右端の編笠山から権現岳、赤岳、重なってしまう阿弥陀岳、横岳、硫黄岳の南八ヶ岳連峰、そこから左へ続く天狗岳、茶臼岳、縞枯山、北横岳の北八ヶ岳の山々、そして左端の蓼科山。この連なりの八ヶ岳連峰はそんなに大きな山ではないのに、その形が美しいのだ。アメリカのグランドティトンの山並に似ている。八ヶ岳の野で「シェーン、カムバック!」と叫ぶと、アラン・ラッドが馬に乗って駆け寄ってくるようだ。

      
   写真左・阿弥陀岳(右)から横岳へ      写真右・蓼科山(左)と北横岳
    

1月9日 雪来た!蓼科

昨日からの雪模様で朝、起きたら、朝日の中に真っ白に庭は輝いていた。積雪は10cm程度と思うが、庭に黒い物が見えなくなるのは気持ち良い。今年は、蓼科に山小屋を建て14年経っているのに、こんなに雪が降らない冬は初めて、というくらいなのだ。寒いのに雪降らず、西高東低の気圧配置の関東型の天気を引き継いでいた。このまま春になるかな?と思っていたが、やはり雪は来た。これでなければ冬でない。昨日、白樺高原スキー場で今年の初すべりをやったが、スキー場は白いのに、周囲は黒い。何となく違和感を感じながら滑ったが、これでようやく冬になった気がする。

      
    写真左・裏からの雪の山荘          写真右・雪が来た山荘
  

1月5日 八坂神社へ初詣

正月は毎日、食べて、呑んで、テレビを見て、ばかりだったので、体がなまってしまった。体力回復のためにもと妻を誘って、初詣ウォーキングに出かけた。百段階段を上り、中央高速道路沿いに北へ向かい、高速道の陸橋を渡って、明治天皇検閲台(陸軍の訓練場)を通って、下りて、旧甲州街道日野宿・西の入り口にある地蔵様にお参りして、八坂神社へ。初詣客がそこそこいて、拝殿へは列になっている。この1年の家族の健康と幸せを祈願して、帰ってきた。少しは運動になったかな?

      
   写真左・旧甲州街道西の地蔵        写真右・八坂神社参拝の列

1月1日 おせちの目玉はタラバガニ

去年の正月おせちは景ちゃんが頼んだすしざんまいのおせちだった。今年はセットは頼まず、近くの角上魚類で好きなものを買ってきて盛り合わせることになった。妻と景ちゃんで出かけて、いろいろなものを買ってきた。その目玉はタラバガニだ。大きな足を何本か買ってきてくれた。身をむしり出すのにも苦労するほど大きい。身がしまっていて、すこぶるおいしい。こまごましたおせちより、こんな大物ひとつの方が味わい深く、楽しめる気がする。タラバガニおせちは最高である。

      
     写真左・タラバガニがメイン       写真右・今年のおせち料理
  

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