小田山荘・蓼科高原ゲストハウス
 
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蓼科日記

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蓼科・東急リゾートタウン
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ワークプレイス蓼科日記

信州蓼科高原は、標高1450mにあり、夏涼しく、冬寒いの四季折々のリゾートでの楽しみ方ができます。
ゲストハウスは、から松、白樺、クリ、コブシ、モミなどの木などがいっぱい森の中にあります。
シジュウカラ、カケス、ウグイス、イカル、アカハラなどの野鳥やリスたちが、えさを求めて庭にやってきます。
こんなところにワークプレイスがあります。

毎月、ワークプレイスよりライフスタイル(日々の活動)をお送りしています。

<2021年>

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 <2005年> (2005年分は、こちらからリンクします。)

 <2006年> (2006年分は、こちらからリンクします。)

 <2007年> (2007年分は、こちらからリンクします。)

 <2008年> (2008年分は、こちらからリンクします。)

 <2009年> (2009年分は、こちらからリンクします。)

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2021年

4 月

4月27日 ノマドランド

ノマドランドがアカデミー賞をとった。地味な映画である。私にとって、アカデミー賞が決定する前に見た唯一の映画だった。映画の筋書きより、背景となるアメリカの大平原の景色が魅力で映画館に行った。私はアメリカの景色が好きだ。特に、大平原を一直線に伸びる道を車で走るのはたまらない。ルート66も全線走破した。「大草原の小さな家」のローラの家族の旅の跡も走った。そして西部開拓の道、オレゴントレイルの跡も車で、ミズーリ州からオレゴン州まで数年かけて辿った。いずれの旅にも大平原は付き物だった。目標のない平原を馬で、馬車で(実際は馬は体力がないので牛車だった)、旅する日々は長く、厳しく、時には恐怖に満ちた旅だった。そんな旅を現代の話としてノマドランドに期待して見に行ったのだが違っていた。しかしそこには現代の厳しく、寂しい大平原の旅が写されていた。荒野の一本の道は冬の光景が多く、暗かった。大平原の旅は今も、昔も変わらない側面があることを知った。

      
                写真-アメリカの大平原を走る
  

4月24日 早立戦

今日はプロ野球併用日なので、午前10時開始、観客数も5000人に削減とのことなので、早めに家を出て、球場に入ったのが10時15分くらいか、入った所のテレビで早稲田がもう1点とられていた。「あららら」とネット裏の2階席に上がり、座ったらもう3点になり、まだ落ち着かないうちに5点になっていた。1回にして万事休すだ。投げるのはエースで今秋のドラフト候補なるであろう徳山、相手は立教だ。東大の次に弱いと言われる立教なのに、1回で5点とは。その後も加点され、終わってみれば10-3,何たることだ。2週前の東大相手に0-0で引き分けたくらいだから、今年は弱いなと思っていたが、このテイタラクだ。満塁が3回もあったのに、ヒット1本が出ない。打線につながりがないのだ。(翌日も逆転負け)今春の連続優勝はこれでついえた。次の試合の慶明戦は面白かった。ボークてもぎ取った1点が勝敗を決し、慶応が勝った。ここまで4連勝中の立教が優勝するかも?

       
      写真左・一回で万事休す          写真右・神宮球場
  

4月20日 青木村五島慶太記念館

青木村は別所温泉の裏、鹿教湯温泉の近くの村と思っていたが、もっと麻績インターに近い所の村だった。真田資料館に置いてあった「五島慶太と渋沢栄一の関係」というチラシを見て、蓼科の帰り道に来てみた。ここは東急グループの祖、五島慶太の故郷なのだ。村輩出の偉人は、この村の発展にずいぶんと資金援助をしたらしく、村の施設は立派だ。その功績と人を讃えるために昨年4月、五島慶太記念館ができた。今日は開館1周年を祝い、クリヤファイルをもらった。玄関には東急の花輪も飾られていた。渋沢栄一は養蚕の繭玉買いでしばしば信州に来ていたという。明治になり実業家として、英国を視察したとき、工業化の発展で年は、工業地帯と住宅地帯は分かれ、都市郊外に環境のよい住宅地域を開発する必要性を学んだ。五島慶太は東急で鉄道を町と郊外を結ぶ線路網を延ばしていたが、それを利用する通勤者を増やしたかった。渋沢の理想と五島の希望が合致し、今の東横線の田園調布開発につながったのだ。その後、沿線には慶応大学、東京工業大学を誘致し、今では東京でもっとも人気の高い鉄道になっている。

       
       写真左・五島記念館           写真右・青木村風景
  

4月20日 須坂の桜

スキーを終わったあと、志賀の山を下り、須坂から菅平を抜けて蓼科に戻ることにした。時間のあるときは、このコースだ。須坂から菅平に上がる直前の村の郊外に桜並木がある。いつも今頃が見ごろなのだが、今年は早いので終わっているかな?と危惧して通ったところ、まだきれいに咲いていた。道路沿いの小川に沿って、300mくらい桜並木が続いていて壮観だ。この季節はいつも楽しいドライブになる。菅平から真田に下り、ふと真田一族資料館に寄ってみたくなった。この町は真田三代発祥の地であり、城下町であった。と言っても、山城なので、地味な村である。真田一族は合戦じょうずと言われたが、山城専門の武家であることもその一因であろう。資料館脇の茶店で摂ったくるみおはぎ付きのランチは美味しかった。

       
      写真左・須坂郊外の桜         写真右・真田記念館のランチ
  

4月20日 今シーズン最後のスキー

今月初めの奥志賀早朝スキーが楽しかったので、今日も滑りに来た。夕べはブルーエに泊り、今朝1時間半だけのスキーで蓼科へ帰る。昨日は終日雨だったし、気温もそんなに下がっていないので、朝の雪はやわらかいのではないかと危惧したが、ゲレンデは悪い感じではないが、前回よりは凍っていないが、最初の滑りはまずまずだった。エクスパート斜面を3回滑っているうちに、急速に雪がやわらかくなってきた。やはり気温が高いのだ。山道の迂回コースを滑ってみたら、まだ日陰の中だったので、硬い雪が続き、快適だ。2回続けて滑ったが、スノーモービルの跡がついているのが気にいらない。再びエクスパートに戻り、1回滑り、最後は林間の迂回コースを仕上げに滑り、今シーズンの打ち止めとした。コロナで思うようなスキーが楽しめなかったシーズンだったが、無事に滑り通せたことでよしとするか。
       
 写真左・早朝スキーリフトを待つスキー客   写真右・早朝のエクスパートコース
  

4月10日 春のリーグ戦始まる

今日から春の六大学リーグ戦が始まった。最初の試合は早稲田ー東大、前期の覇者と最下位チームが開幕戦になるのが、六大学の決まりだ。昨年秋の蛭間の劇的逆転ホームランで優勝した早稲田が、新たなメンバーで春に臨む。相手は東大だし、これで2連勝してはずみをつけたいところだ。1試合目は順調に前半で6点あげ、楽勝かと思われたのに後半、東大に着々と点を入れられ、1点差に追い詰められた。9回はあわや同点かと思ったところで、何とか逃げ切った。翌2試合目は、東大の繰り出すピッチャーを打てず、0点が続き、終わってみれば0−0の引き分け。何たることか、東大から1点もとれず引き分けとは?打線が弱い。ヒットが出ても続かないのだ。今春の連覇が危ぶまれるスタートとなった。それにしても応援団が入るとこんなに雰囲気が違うものか。外野は応援団専用で、観客は入れないのだが、響いてくる応援歌、コンバット、大進撃などの応援メロディを聞くと浮き浮きしてくる。敵の東大の「闘魂は」や鉄腕アトムマーチも心地よく聞こえる。六大学野球には応援団が欠かせない存在なのだ。

       
      写真左・小宮山監督のノック       写真右・バックネット裏から
  

4月6日 春の八子ヶ峰

蓼科にいる楽しみは手軽に山登りができることだ。春になり、この冬の雪解けは早かったので、もう八子ヶ峰は歩けるだろうと、キャラバンシューズでよく晴れた朝、山登りに出かけた。駐車場に車をおき、短いが急な登り道に入っていった。登りが苦しい。以前より、体が動かなくなっていることに気が付いた。20分で尾根に取りつき、ひと休み、前は立って休んだのに今は、道脇の石に腰かけての休息だ。そこからしばらく登って、カラマツ林を抜けて、縦走路に出てここでは大休止、以前は30分で来たのに、今は40分かかった。アルビレオヒュッテを目指し、歩を進めると、蓼科山が眼前に聳え、右手は北八ツから赤岳、権現への南八ツ岳への稜線がくっきりと望めた。ヒュッテを過ぎると、前方の車山の向こうに穂高から槍ヶ岳の白い峰々が輝く。車山はスキーシーズンが終わったばかりなのか、ゲレンデの白い斜面が残っている。中央アルプスも御嶽も今日はきれいだ。山は雪がついているときが美しい。ツーインワンのスキー場にもまだ雪がいっぱい残っている。八子ヶ峰西峰でも石に腰かけ、周りの山を堪能した。以前と比べると、休む回数が増え、休む時間も長くなった。やっと駐車場に戻ってきたときは3時間を越していた。前は2時間半で回れたのに、歳とともに、歩く速度も遅くなり、休憩も増え、長くなってきているのだ。それでも歩き通せたことを良しとするか。

       
 写真左・スキーゲレンデ残雪の向こうに穂高が    写真右・雪の消えた蓼科山
  

4月3日 春の早朝スキーの楽しさ

一昨年くらいからか、春は奥志賀の早朝スキーが楽しいことを知った。春の雪はすぐグチャグチャになり、滑りにくくなる。ところが、朝は冷え込みで雪が締まり、時には凍ってアイスバーン状態になり、すこぶる滑りやすくなるのだ。そのうまみを生かして、3月末〜5月連休の週末は朝6時半から8時までの間に、きれいに圧雪したゲレンデをリフトを動かして滑らせてくれるのだ。これがたまらなく快適で楽しい。今朝もブルーエに泊って滑ってみた。いつもよりアイスバーン状態でカチンカチンだ。エクスパートコースの上は急斜面だ。ここで転んだら、タダですまなくなると考え、曲がりはボーゲンで恐る恐るだ。それでも徐々にスピードが出てくるので怖い。何とか緩斜面に出て、リフトまでも硬い雪なので、スピードが出る。エクスパートを、2,3回滑っていたら、「小田さん!」の声、見ると、永瀬さんの姿だ。今シーズンは極楽スキーもなかったので、初めてのゲレンデ遭遇である。聞くと、毎週のように、金曜深夜に逗子の家を出て、早朝に奥志賀に来て、昼過ぎまで滑ってから帰る、というのを繰り返したと言う。会社からは泊りのお出かけはするな、というお達しで、苦肉の策でスキーを続けているのだ。感心、感心!そこまでして続けるスキーは楽しいものなのだ。

       
   写真左・きれいに圧雪されたゲレンデ     写真右・早朝スキーを楽しむ人
  

4月1日 神代桜は2000年の長寿命

神代桜は北杜市武川にある樹齢2000年と言われる銘木の桜だ。日本武尊命が植えたと言われる歴史的な桜で、接ぎ木をしながら今世まで生き延びてきたそうだ。数年前に妻と来た時は、雨の日でかつまだ咲き始めのときでみすぼらしかった。今日は晴れているし、今年の桜は早いというしで蓼科へ行く途中で寄ってみた。みごと満開である。老木は支え木でかろうじて枝を維持しているが、それでも桜の花はみごとに咲いている。立派なものだ。歴史を感じさせる名桜である。神代桜から枝分けした孫桜も大きくなり、満開の花を咲かせているが、その桜の向こうに見える甲斐駒ケ岳も雪をまとい立派である。名桜と名峰の組み合わせは、ここ武川を代表する景色である。

       
   写真左・木に支えられて咲く神代桜     写真右・満開の桜の向こうに駒ケ岳
  

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3 月

3月29日 日野の桜も満開

日野の市内にも桜の名所がいくつかある。高幡不動境内の桜は平山丘陵の森の斜面に咲いていて、常緑樹の緑と桜のピンク色がうまく混じり合ってきれいだ。家の近くの百段階段を上がって、市役所に続く直線道路の桜並木はみごとだ。その先には中央公園の桜もある。そしてもうひとつ忘れてならないのは、多摩川沿いのゴミ処理場近くの小川に沿って続く桜並木だ。両岸から桜満載の枝を水面に張り出させて、川を覆う桜景色は壮観である。交通の便がよくないので、人出も少なく、花見には最適なスポットだ。
近くにはアンジャッシュや三浦友和、忌野清志郎が出た日野高校もあり、都立では強豪校の野球部がいつも練習している。今は校舎建て替え中で三階建てのプレハブ校舎だが、完成は2025年と出ているので、この春の新入生はプレハブにり、卒業もプレハブからということになる。これは可哀そうだが、不運とあきらめるしかないか。最後に忘れてならない桜の名所はコニカミノルタの本社工場を取り囲んでの桜だ。もともとサクラフイルムだっただけに、ここの桜もみごとである。この工場の塀の隣は八王子市になるので、日野市は桜とともに税収でも恩恵を受けている。

      
    写真左・市役所へ続く桜並木        写真右・小川を覆う桜
  

3月20日 うかい亭

何年ぶりかのうかい亭である。八王子市内を見下ろす山にある高田屋嘉平の屋敷を移築したとかいう豪邸での鉄板ステーキの店だ。末娘・景の誕生日、結婚二次祝いを兼ねて、裕紀君ともども招待した。コロナで営業時間短縮とはいえ、その短い時間にお客は来るようで満杯だ。魚も加えたコースはバラエティに富み、鉄板で焼いた肉をサイコロにしてくれて食す肉はとてもおいしい。齢をとってくると、1枚の肉よりも、このように小さくしてくれた肉を好むようになった。食事の途中で、結構揺れの大きい地震がきたが、シェフは「山の上は揺れるんですよ」と言って動じない。部屋の飾り棚にあった大きな壺が落ちてくるのではないかと不安になったが、無事おさまった。帰りはタクシーで北島三郎邸の前を通ってもらい、八王子駅に出た。

      
     写真左・うかい亭の食事       写真右・木下夫妻と小田家
  

3月12日 またもやの昼神の星空

信州最南端のスキー場・ヘブンスそのはらは星空観賞でも有名な所だ。季節は違えども、前に来た時も鑑賞コースで宿を予約した。このときは雨模様でプラネタリウムを見ただけでダメだった。3月なら大丈夫だろうと同じホテルを予約したが、またもや昼過ぎから雨でダメ。それでも鑑賞会はやるらしく、早目の夕食を摂って、バス、ロープウェイを乗り継いでスキー場へ。上は雪になっていた。暗い雪空を照らして、このあたりがオリオン座と言われても、ハアという感じだ。宿屋の食事のとき、「2回も同じことが起こるのは、この宿と相性が悪いようだ」と言ったら、仲居さんが「そうですね。次は別の所に泊ってください」と言われてしまった。

      
 写真左・ヘブンスそのはら星空観賞ツァー   写真右・二度目の宿・ホテル阿智川
  

3月11日  早太郎のお寺は広大

千畳敷ホテルの朝食は7時と早い。山小屋並みである。チェックアウトも9時と早い。その頃、始発のゴンドラが上がってきて、登山者が増えた。そそくさと身支度をして、カールの雪原に向かっていった。日帰りで木曽駒ヶ岳へ行ってくるのだろう。まばゆいばかりの晴天である。夕べホテルに泊って朝、駒ケ岳へ向かったグループは既にカール最後の急坂・八丁坂を越えて、浄土乗越に着いたようだ。(この2日後の降雪で、八丁坂で雪崩が発生したが、巻き込まれた人はいなかったようだ)我々は11時前のゴンドラで下りた。
今日の宿・駒ヶ根リンクスへのチェックインにはまだ早いので、伊那名物のソースかつ丼を食べてから、早太郎伝説が残る法前寺へ行った。境内は広く、植物園にもなっているような名刹である。「昔、早太郎という山犬がこの寺に飼われていた。今の静岡県の磐田市周辺に怪物がいて”早太郎はおるまいな”と言いながら、村の娘をさらっていったそうだ。それを聞いた光前寺は早太郎を磐田へ遣わし、怪物と戦い、娘を助け出した。しかし傷を負った早太郎はようやく光前寺に戻り、息絶えたそうだ」この伝説が残る光前寺には早太郎の墓があり、銅像もある。またこの縁で、ここ駒ヶ根市と磐田市は姉妹都市になっているそうだ。この夜、泊ったホテル・リンクスでも星空鑑賞会があり、駒が池まで行き、星空を眺めた。、中央アルプス方面の高い所に光り輝く所が夕べ泊った千畳敷ホテルだと教えてもらい、星空より印象深かった。

      
       写真左・早太郎像         写真右・宝剣岳をバックに
  

3月10日 千畳敷の星空

これまで八ヶ岳観光ホテルや昼神温泉の星空観賞ツァーに参加したが、毎回、天候悪く、星空は見れなかった。三度目の正直で、中央アルプス・千畳敷カールでの星空観賞会に出かけた。標高2600mの中央アルプスにあるホテルに泊って星空を見るのは、さぞかしきれいだろうの魂胆で出かけた。ロープウェイで上がったカールは一面の銀世界、夜までの時間はスノーシューハイキングをカールで楽しんだ。
南アルプス稜線の向こうには富士山がうっすらと見えた。ここから見る南アルプスの中では塩見岳がとても目立つことを初めて知った。空はよく晴れて、今夜こそ星空は見えることだろう。夕食後に始まった鑑賞会、まず星の説明があり、その後、外に出て空を見上げての星座を追う。オリオン座を教えてもらい、そこを起点に冬の三角形、ダイアモンドなどを知り、ふたご座の神話を聞き、感動した。弟よりなんでも秀でていた兄は、弟が死にひんしたとき自分も死んで、弟と一緒にいたいと言ったそうな。兄弟愛にあふれた星座なのだ。

      
      写真左・千畳敷カール         写真右・南アルプス遠望
  

3月2日 早春の蓼科

今年は雪も早く、寒くかったので春は遅いだろうと思っていたのに、2月初めにもう雪が少なくなり、それからひと月後の今日は、裏の駐車場に車が入れるほどに無くなっていた。ただ幹線道路脇には除雪後に残った雪がひとかたまりあるが、車で乗り越えられるだろうと突っ込んだところ、車の腹がひっかかって動かなくなってしまった。シャベルで雪をかき出そうとするが、下の雪は凍っていてかき出せない。お湯を流してみたが、奥までは届かない。困っていたときに、上から除雪帰りの除雪車が来た。手を上げて止め事情を話すと、降りて来て手伝ってくれた。何とか車が動いたあと、除雪車は駐車場までの坂道を往復して、雪をかき出してくれた。ほんとうに助かった。いろいろなことが起こる蓼科の早春である。

      
    写真左・駐車場へ下りる道         写真右・道路はカラカラ
  

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2 月

2月27日 法坂へ、法坂へ

昨日から志賀高原にスキーに来た。1月も一緒だった森さんとだ。今日は雪が舞ってはいるが、だんだん晴れるという予報を信じて法坂のグリーンでの昼食を目標に、奥志賀から滑っていくことにした。法坂は、今ではサンバレーという洒落た名前になっているが、55年前から来ている私には法坂が今でもしっくりくる。今日は土曜なのでどのスキー場もオープンしているので、計画通りにいくだろう。焼額を抜け、一瀬、寺小屋、東館、ブナ平、ジャイアント、蓮池、丸池を経由して、法坂のグリーンに着いたのは昼過ぎ、いちばんの混雑時なのにコロナの影響か、窓側の席は埋まっているが中央部はがらすきだ。こんなに空いているのははじめてだ。森さんはクリームコロッケ定食、私はカツカレーに生ビールだ。森さんはそのあとケーキセットまで注文していた。帰りはバスにしたかったのに、2時間以上空いてしまう。仕方なくまたスキーを履き、蓮池かジャイアントに抜け、西舘経由で帰ってきた。以前は1時間に2,3本あったシャトルバスが、今は1時間に一本、昼過ぎは2時間も空いているのだ。これはまさにスキー客減少を意味しているのだが、コロナが終われば、外人客が戻ってきてさらに増えるだろうから、ヨーロッパのスキー場並みに本数を戻してほしいものだ。

      
  写真左・志賀高原から北アルプス展望     写真右・サンバレースキー場
  

2月27日 厳冬の別荘地

我が山荘の前の側線道路はしらかば4号線、このどん詰まりまで往復するのが、最近、私の日課となっている。夕方4時ちょっと前にテレビの水戸黄門が終わってからの歩きだ。2月末ともなると夕方4時だとまだ明るく、夕日が八ヶ岳を照らしている。これが11月だともう薄暗く、散歩を終わって帰ってくるととっぷり日が暮れている。3ヶ月の差は大きい。4号線沿いにはこの冬を別荘で過ごした人が3組いるらしい。手前から木部さん、多摩ナンバーの車が秋からずっと止まっている。昨冬はいなかったので、今年かららしい。古いスノボーを表札にしたので、冬ごもりはここでと決めたのだろう。その先には中国系フランス人のチェンさん、奥さんは日本人だ。諏訪ナンバーの車に、フランス国旗のステッカーが貼ってある。フランスでは外務省に勤めていていろいろな国の大使館勤務が長かったらしい。退職したとき、どこに住むか奥さんと相談したところ、日本の自然の中に住みたいというので、蓼科にしたらしい。どんづまり近くに豊田ナンバーのトヨタ車、愛知県の人だろう。ここは私が山荘を建てたときからの家なので、もっとも古い4号線の住人でなかろうか?最奥はエアバックのタカタ一族の豪華な別荘、ここからの眺めは最高だ。ここでゆっくり夕日に染まる赤岳、阿弥陀岳を堪能して、わが山荘へ帰途につく。山小屋生活の至福のひとつである。

             
     写真左・夕映えの八ヶ岳      写真右・四号線の最古参居住者と思われる別荘
  

2月23日 山荘は雪の中

”山荘は雪の中”と思ってきたが、あに諮らんや、道路は乾いているし、雪かきで駐車場造りもしなければと覚悟していたのに、ほとんど雪が溶けていて、バックですっと入った。水入れも少し手間取ったが、何とか通水した。ありがたいことではあるが、信州の北側、志賀高原は大雪なのに、同じ県内でも違うものだ。確かに、蓼科は関東型天気範囲ではあるが、こんな寒い冬にはそれなりの積雪はあったのがこれまでの冬であった。白馬でも黒菱平は3mもあるのに、咲花周辺では数十センチだという。標高差もあるが、いつもの年はこんなに差はない。やはり何かおかしい。地球温暖化は、地形のわずかな違いでも影響を出すのかもしれない。

      
   写真左・雪は少なく道路はカラカラ     写真右・斑雪の中の山荘
  

2月17日 今度は超音波

ヶ月毎に、私立病院で前立腺ガンの治療後の検診を受けているが、もう5年経ちPSAも低レベルなので、そろそろ半年でもよいのではと期待したら、尿検査で潜血がはっきり出ているとのことで、急遽、超音波で検査するとのこと。膀胱がんのおそれがあるそうだ。CT,MRI、そしてこんどは超音波。齢をとると検査漬けである。下腹部を押されての超音波検査の結果は異常なし。ただ腎臓に結石があるとのことだが、5年前のレントゲンにも映っているので自覚症状がないなら、「まあよし、模様見ということにしましょう」との進藤先生の言で終わった。ホッとした。しかし終わったあとに家まで40分のウォーキングが待っていた。
  

2月9日 散歩事情

先月の志賀高原でのスキーは、ちょっと長めに滑ると、”ぜーぜーハーハー”して、とても苦しかった。前はこんなことがなかったのに。体力が衰えているらしい。で、このところウォーキングに励むことにした。近くの百段階段(実際には112段)をまず上がり、市役所を通って、20号バイパスへ、神明小鳥の森公園の気持ちの良い散策路を歩き、中央線にぶつかって、帰路につく。これで7500歩くらいだ。1万歩歩きたいのだが、それにはもっと距離を延ばさなければならないが、キツイ。市立病院へ午後3時予約で行ったときも往復歩くことにした。診療が5時過ぎに終わるという”何が予約なのか”で、帰りは日が暮れていた。暗い中を40分かけて帰宅した。これでも9000歩。1万歩はきびしい。それでも今までより歩いているし、新たなコースも見つけたし、これでスキーや山登りも楽になるなら、よしとするか?

      
      写真左・脅威の百段階段       写真右・野鳥の森公園散歩道
  

2月5日 ミンキー死す

ソウルに住んでいる娘夫婦が飼っている小犬・ミンキーが急死したとの連絡が来た。夫婦でとても可愛がっていたのに。私たちが行ったときも、すぐに慣れて、ソファに飛んできてじゃれつく姿が可愛かった。死んでわかったことは肺がんだったらしい。死ぬ直前にはたくさん食べていたらしい。死を予感して、天国の旅路の腹ごしらえをしたのか?香典を振り込んだら、娘はその金でペットの慰霊セットをアマゾンに発注し、それがわが家に納品され、韓国に送ることになった。インボイスへの英語での記入に手間取ったが何とか郵便局から送れた。1週間ほどで到着し、祭壇の写真が送られてきた。ミンキーの写真が切ない。旦那のジェフンは毎日涙ぐんでいるそうだ。次の保護犬をもらったようで、その世話に大変そうだが、早く悲しみから抜け出してほしいと祈っている。

            
      写真左・ミンキーの仏壇セット       写真右・ミンキーとジェフン
  

2月1日 横手山のボルシチ

きれいに晴れた月曜日の朝、横手山へのツァーに奥志賀から出かけた。蓮池まではいくつかのスキー場を横断していく。一ノ瀬から寺小屋スキー場へ行こうとしたら、「閉鎖中」の看板、休日しかリフトを動かさないとか。そこで一ノ瀬の壁を下りながら、タンネの森を抜けて、高天原へ。タンネの森のリフトも動いていない。高天原から西舘山に上がったら、西舘のリフトも動いていないが、ゲレンデはきれいに整地されていて滑れそう。誰もいないゲレンデを楽しく優雅にジャイアントまで下った。蓮池へは今年架かった3連結のゴンドラで山の駅へ出てバスで熊の湯へ向かい、横手山でボルシチを食べた。ここのボルシチは渋谷のロゴスキー譲りの味でボリュームたっぷりでおいしい。帰りに発哺で東館へのゴンドラを見たら、これも動いていない。どこもかしこも平日は休業中なのだ。コロナ禍の影響はスキー場にも表れていした。

            
     写真左・横手山名物ボルシチ    写真右・志賀高原のシンボル笠岳遠望
  

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1 月

1月31日 奥志賀スキーは慎重に

スキーは生き甲斐のひとつとなっているが、今シーズンは仲間の企画が次々とつぶれ今回がはじめてのスキーとなった。極楽スキー仲間の大田さん、池田さん、両長老のツァーに加えてもらって、志賀の焼額に来た。いつも奥志賀に滞在しているので、焼額のプリンスホテルに泊まるのは初めて。志賀ツァーのときの通り道のゲレンデだが、気持ちよいゲレンデが広がるエリアだ。大田さんは一昨年、手術後順調に回復しているものの、滑ると気持ち悪くなると言って早目に切り上げる。高令化もあり、体力がなくなってきているようだ。池田さんも元気だが、無理しないスキーに徹している。私だって、転ぶのが怖いので、恐る恐るスキーを操っているのが実態なのだ。天気がパッとせず、来た日28日の午後がいちばんよかった。しかし、コロナ禍の平日のせいか、ゴンドラは午後3:15で終わるというではないか。あと40分くらいしかない。あわてて仕度をしてゴンドラに飛び乗る。リフトも1本しか動いておらず、そのリフトだと思って行ったら運休中、別なリフトだったようで、ゴンドラは運転終了。ホテルまで歩くしかないと思ったが運よく10分後にシャトルバスがあったので、これに乗ってホテルに帰還した。あわただしい初すべりだった。

      
    写真左・スキー場もコロナ対応      写真右・夕食の窓の外は吹雪
  

1月27日 厳冬の別荘地

大寒直後の蓼科は寒く凍りついている。陽射しはあるものの空気は冷たく、散歩もままならない。ゴミ捨てを兼ねて、日向を選んで4号線を散歩した。晴れた空には夕陽に輝く雲が浮かんでいる。森の雪の中に鹿が2頭、夫婦だろうか?こちらを見ていている 。カメラを構えたら飛び跳ねたが、撃たれないと思ったらしくまたこちらを見つめている。カメラを構えても今度は逃げない。「きれいに撮って」とでも言うように、じっと見つめている。今の季節は鹿たちの天下だ。4号線を奥まで歩いたが、滞在しているのは3軒だった。住んでいるのは1軒か2軒、もうひとつは長期滞在かな?こんな季節でもいるというのなら、もう住みだしているのかもしれない。

      
   写真左・人の少ない冬は鹿の天国      写真右・木の間越しに多くの別荘
  

1月27日 駐車は道路脇スペースに

志賀高原スキーの前に山荘に寄って、スキー積み込み、そしてカレンダー交換。水抜きは長いこと来なかったので心配で管理センターに頼んでおいた。下の駐車場を整地するには手間がかかりそうなので、滞在も短いことから、上の幹線脇に停めることにした。道路脇に積まれている除雪後の雪の壁を崩さなければならない。先日の雪は水っぽかったらしく、塊は凍っていて固く重い。シャベルで少しずつ崩し、最後は腕に抱えて、どけた。少し、車線にはみ出しているが、車の量も少ないことだし、ほぼ道路に平行に駐車できるので、これで良しとした。ただ夜、走ってくる車が気が付かず接触する恐れがなきにしもあらずと、後ろに赤い石油ポリタンクを置いて目印とした。

      
   写真左・道路沿いギリギリの駐車      写真右・ここが山荘には便利
  

1月26日 御神渡り消えていた

今年の冬は寒く、諏訪湖の御神渡りの湖水凍結が正月明けに認識したというので、蓼科に行く前に寄ってみた。すわっこランドの前でも見えるということだったが、岸近くは凍っているものの、その先には湖面が広がっていた。どうもこの二三日の暖かさで溶けてしまったようだ。この数年は暖冬で、見られる機会が激減していたので良い機会と思っていたのだが、残念だった。次の機会に期待しよう。

      
    写真左・湖岸は氷でぎっしりだが     写真右・その向こうには湖水面が広がる
  

1月25日 立川の諏訪神社は大きい

立川に買い物に来た。最近よく行く福来軒にラーメンを食べに行ったら休み。その前にある諏訪神社へ寄ってみた。予想外に大きい神社で驚いた。境内も広く、結婚式場と披露宴の建物もある。参道も広く、長く、福来軒は創業100年というから、諏訪神社とともに歩んできた店なのだ。本来の参道は福来軒側ではないが、傍にあることには変わりない。この神社も名前からして、諏訪大社の流れなのだろう。御柱は立っていなかったが。

      
     写真左・諏訪神社山門          写真右・諏訪神社への参道
  

1月12日 リコールの次は板金修理

正月明けに、エンジン部分のリコールがあり、ヤリスを修理に出したばっかりなのに、返ってきたら、こんどは図書館近くの細い道で、左の後部ドアをこすってしまい、またまたネッツトヨタ行きだ。ヤリスになって、初めての自損事故、ぶつけられて修理、リコールで修理、そしてこすって修理とこのふた月で修理の連続だ。先が思いやられる。今月末の志賀高原行きは心して運転しなければいけない。

       
   写真左・ 反射で傷が見にくい       写真右・左後部ドア斜めに傷
  

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