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蓼科日記

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蓼科・東急リゾートタウン
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ワークプレイス蓼科日記

信州蓼科高原は、標高1450mにあり、夏涼しく、冬寒いの四季折々のリゾートでの楽しみ方ができます。
ゲストハウスは、から松、白樺、クリ、コブシ、モミなどの木などがいっぱい森の中にあります。
シジュウカラ、カケス、ウグイス、イカル、アカハラなどの野鳥やリスたちが、えさを求めて庭にやってきます。
こんなところにワークプレイスがあります。
毎月、ワークプレイスよりライフスタイル(日々の活動)をお送りしています。

<2018年>


 
[1月] [2月] [3月] [4月] [5月] [6月]
[7月] [8月] [9月] [10月] [11月] [12月]

 <2004年> (2004年分は、こちらからリンクします。)

 <2005年> (2005年分は、こちらからリンクします。)

 <2006年> (2006年分は、こちらからリンクします。)

 2007年> (2007年分は、こちらからリンクします。)

 <2008年> (2008年分は、こちらからリンクします。)

 <2009年> (2009年分は、こちらからリンクします。)

 <2010年> (2010年分は、こちらからリンクします。)

 <2011年> (2011年分は、こちらからリンクします。)

 <2012年> (2012年分は、こちらからリンクします。)

 <2013年> (2013年分は、こちらからリンクします。)

 <2014年> (2014年分は、こちらからリンクします。)

 <2015年> (2015年分は、こちらからリンクします。

 <2016年> (2016年分は、こちらからリンクします。

 <2017年> (2017年分は、こちらからリンクします。
 

2018年

3 月

3月29日 林家たま平

先代林家三平の孫にあたる、林家正蔵(旧こぶ平)の息子のたま平が二ツ目に昇進したとかで、その披露寄席が日本橋の三越劇場で開かれた。三平師匠の甥の川島さんが席を用意してくれ、妻と一緒に出かけた。真打昇進披露はあるが、二ツ目では聞いたことがない。さすが林家のご威光か。
ほぼ満席、正蔵が口上でも言っていたが、ひいき客半分、義理客半分と見た。三増紋之助の曲独楽に続き、たま平の落語は若いだけあっての高座を飛び跳ねる賑やかな一席、中入り後の口上は正蔵と弟の三平。兄弟そろって「昇進」を「ショウヒン」と噛む始末、「血は争えない」と正蔵がサゲていた。
正楽の紙切り演芸のあとに、たま平がもう一席「八五郎出世」。語りもしっかりして元気がよい。将来は親を越えるかもしれないうまさの片鱗を見た。

            
      写真左・たま平昇進披露             写真右・林家たま平
 

3月28日 日野の桜
妻が退院し、体力回復のために花見を兼ねて散歩した。コースは市役所から百段階段経由で帰ってくるという基礎的なコースだ。市役所まで行って、アイスクリームを買って、中央公園のベンチで周りの桜を眺めながら休憩、若い家族連れを中心に何組かがシートを敷いて花見の食事をしていた。
大学生らしい若いグループもあったが、飲めや歌えやの老人グループは皆無だ。上野や井之頭には多いのだが、市役所前の公園は場違いなのだろう。百段階段へ続く道沿いの桜はみごとだ。ただ昨年、かなりの枝を伐採した木もあり、見上げなければならない桜木も多く、いささか疲れる。元気に歩けた妻の回復にホッとする。

      
       写真左・退院後の散歩              写真右・中央公園の桜 
 

3月27日 妻の退院

先週、入院した日は雪交じりの寒い日だったが、たった1週間で、慶応病院の前の桜は満開になっている。大腸ポリーブを取る手術も無事終わり、今日は退院日。朝9時過ぎに迎えに行った。
妻は既に個室を片づけて待っていた。一日38,000円の個室にも今日でサヨナラ。高い治療費だったが、保険で何とかなるだろう。病室の窓から見える新宿御苑は平日の朝なのに、結構、人がいる。やはり桜を愛でる人で朝からにぎわっているのだ。支払いをすませ、桜の下で、病院上部のペンの校章をバックに記念撮影をして帰途についた。

            
     写真左・慶応病院をバックに           写真右・国立駅前の桜
 

3月26日 水道橋から市ヶ谷へ歩く
明日の退院を前に、最後の見舞いに行く。行く前にテレビで紹介していた水道橋の”中華そば勝本”へ行ってみた。駅から近く、人気の店らしく、入り口に数人、並んで待っていた。醤油ラーメンというより、イリコダシや鰹節など魚介のダシをブレンドしたスープが基本だ。醤油の味はしない。それでもダシの旨味が効いていておいしい。そんなラーメンを楽しんだあと、まだ面会時間には余裕があったので、飯田橋まで歩いた。まだ時間があったので、さらに市ヶ谷へ、お堀の堤の上を歩くようになり、桜が満開だ。
日本歯科大学病院があり、歯科だけかなと思ったら、内科、外科もあった。歯医者になるのにも内科や外科の勉強もするのかな?中央線の向こうにお堀があり、その対岸の桜並木も満開だ。電車と堀と桜の組み合わせは写真向きの風景だ。法政大学を過ぎて、市ヶ谷に着いたらちょうどよい時間になったので、信濃町へ電車で向った。

            
      写真左・ 中華そば勝本              写真右・中央線と桜 
 

3月25日 小平さん凱旋パレード

日本晴れの青空の下、茅野市役所前にはおおぜいの市民が集まった。これから小平奈緒さんの金メダル凱旋パレードが始まる。駅前の市民館までの数百メートルの短いパレードだ。挨拶があり、東海大諏訪高校ブラスバンドの奏でる”東京オリンピックマーチ♪”でオープンカーが出発、通りに出るまで市役所前を半周して、私の目の前で爽やかな笑顔で手を振ってくれた。テレビで見るより、きれいだ。賢そうな美人である。八十二銀行の屋上ではおめでとうボードをかざして行員が祝福している。私は裏通りを廻って駅前へ移動した。市民館前も大変な人だかりだ。茅野市人口の3分の1、25000人が集まったという。「みなさんの応援が、笑顔が、私のスケートのがんばりにいちばんつながります。これからも応援よろしく」と小平さんが挨拶してパレードは終わった。
同じころ、八ヶ岳連峰の阿弥陀岳では7人が滑落、3人が死亡するという事故の救助活動で、青空の中ヘリコプターが慌ただしく飛び交っていた。下では華やかなパレード、上では悲しい遭難が同じ市内で起こっていたのだった。

      
      写真左・小平さんは美人            写真右・山の上では・・・
 

3月17日 都電に乗ってグルメ会へ
阿波踊りの仲間を中心に「B級グルメの会」というのがあり、今日は連長・谷口さんのお兄さんがやっている都電荒川線の荒川遊園地前にあるレストラン・ピーナッツへ行った。何十年ぶりかで都電に乗った。
都内唯一の都電、学生時代に乗り降りした早稲田から乗車、終点まで30近い停留所があるのに、運賃はたったの170円均一、スイカなら165円だ。安い!どの停留所も乗り降りが多く、いつも満席だ。
時々、信号では止まり、青に変わったら並行する車と一緒に動き出す。周りの景色も住宅ばかりで軒下を走っていく感じだ。飛鳥山は江戸の昔は花見でにぎわった所、もうすぐ開花で人出も多い。
荒川遊園地前のひとつ先の小台まで行き、そこから住宅街の小路を数分歩いて、ピーナッツへ到着。出てきた料理はハンバーグ、ローストビーフなど洋食だ。どれもおいしい。B級とは失礼な!感じだ。この会を「なかなかグルメの会」に名前変更するという提案に賛成である。

      
       写真左・都電荒川線             写真右・グルメ会のひと皿
 

3月16日 京王ライナー初乗車
先月から京王線に京王ライナーという座席指定の電車が走りだした。縦2席ずつの中央ライナー並みの特製車両だ。新宿での飲み会のあと、駅に行ったら発車時刻間際でまだ席があった。ホームでライナー券400円で買い、乗車。指定された席に着いたらすぐ発車した。
目の上にTVボードがあり、広告主体だが、ニュースも流していて見ているうちにもう府中だ。新宿を出たら次は府中だった。明大前にも調布にも止まらない。府中から先はふつうの特急と同じ駅に止まる。高幡不動まで30分もかからなかった。400円が高いか安いかは微妙だ。特急でも30分強なので、無理してライナーに乗らなくてもよいかも?

      
       写真左・ 京王ライナー             写真右・車両内テレビ
 

3月3日 志賀高原は雪多し

この冬の志賀高原は雪が多い。3月に入っても奥志賀は3mの積雪だ。中々連の仲間の矢田さん夫妻がスキーをやるというので、同じ仲間の石塚ナツコさん、二瓶ショウコさんも一緒にブルーエに来てもらった。
アメリカ生活があった矢田さんはレイクタホやベイルにも行ったことがあるとかで奥さんともどもかなりの腕前だ。ナッちゃんもスキー好きなお父さんに小さい頃、よく行ったとかで、素直なきれいな滑りだ。
ショウコちゃんは会津若松育ち、小学校の頃は沼尻スキー場へ学校スキーで行ったとかで、素朴なボーゲンスタイルだが、足腰が強く、ストック使わず、ボーゲンでもスピードに乗ってたくましく滑る。
それぞれ個性的なスキーだ。快晴のゲレンデを軽快に、奥志賀、焼額、一ノ瀬、寺小屋、東館、ぶな平を滑って、ジャイアント底へ、そこで昼食。帰りは西舘を走破し、高天原、矢田さんが若い頃の思い出のゲレンデだったというタンネの森を通って、ダイヤモンドから焼額に戻り、奥志賀へ帰ってきた。
晴れた日の志賀高原を満喫して、夜はリンゴ育ちの牛肉しゃぶしゃぶでおなか一杯。とても楽しいスキーだった。去年の入院明けの太ももビンビンに苦しめられたスキーからほぼ完全に立ち直った感じだ。
入院生活はすごく体力を落とすことを実感したものだった。

       
     写真左・ 妙高山をバックに             写真右・鍋パーティ
 

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2 月

2月26日 元善光寺

元善光寺は飯田の町はずれにある。元がつくから長野の善光寺の本家ではないかと思っていたが、やはり善光寺はここから始まっていた。ここが創建されてから数十年後に長野にも分家して、そちらが大きくなり本家取りされたようだ。元善光寺もこの界隈では大きい寺で山門から80段の石段を登った所に本堂があり、ここからは飯田の盆地が眼下に見える。信州の初詣記事には必ず出てくる有名なお寺だ。真っ暗な回廊を廻る仕掛けもあり、御朱印帳を持った参拝客も多かった。妻の手術入院がうまくいきますように、いつもより入念にお詣りした。100円の賽銭ではダメか

      
      写真左・ 元善光寺山門             写真右・元善光寺本堂
 

2月25日 昼神温泉星空ツァー
ヘブン園原スキー場は夏の星空観賞で有名な所だ。雪のない季節の夜、ロープウェイに乗ってゲレンデに行き、用意されたシュラフに入って、寝ながら星空を見る、というものだ。
冬は寒すぎて雪もあるので、それはやらない。その代わり、ゴンドラ乗り場近くの広場に星空ナイトツァーいう企画で星座の説明やプラネタリウム鑑賞がある。この日はあいにくの曇り空で月もかすんで星は見えない。空にレーザーポインターで光線をあてて、「このあたりが北極星」などと説明されても興味がわかない。プラネタリウムもテント小屋の中で空に骨組みが映り、何とも情緒がない。それでもこれくらいしか見る所がないので、2回も入って、骨組み天井に映る星座を眺めていた。
寒いと聞いていたので、足裏にホッカイロを貼り、スキーヤッケを着こんできたがそんなに冷えてなく、足裏が熱いのだ。星空ナイトツァーは入場料が2200円もする。
われわれは温泉宿のパッケージで来たので、そんなに払ってはいないが、これだけの目的で来た人には高すぎると感じた。

         
      写真左・星空ツァー会場             写真右・煌めく星座? 
 

2月24日 妻と二人でスノーシュー
妻にスノーシューを買ったのは2年前、去年は私の入院で行けず、今年は3月に企画したが、こんどは妻が入院することになり、急遽、今行こうということになった。コースは今月初めに岳文会ツァーと同じ麦草峠、4時間歩くと言ったら、妻はそんなに歩けないというので、とりあえず、途中の五辻まで行って、考えようと言うことにした。
ピラタスのロープウェイで上がり、歩き始めたが、曇り空で風が強い、気温は零下10度、インナー手袋をしているのに指先が痛い。手袋をたたきながら烈風の中を歩いた。森の中の道に入ったら、風が来なくなり、ホッとした。樅ノ木に雪は残っているものの先日のように新雪が冠った状態ではないので、少し趣に欠ける。それでも雪の中を歩くのは心地よい。数十分歩いて五辻の東屋に着いた。ここでこの先どうするか、妻に聞く。「ここで十分」と言うので、引き返すことにした。休んでいると、小学生の男の子を連れた親子が来た。今日は白駒の池まで行って山小屋に泊るという。先日、すれ違ったパーティも白駒の池だった。この季節は白駒泊りが多いようだ。帰り道は先日同様、陽が射しはじめ暖かくなった。指先の冷たさもとれ、快適、快調、気分爽快で坪庭のロープウェイへ戻った。ここのレストハウスでポタージュスープを頼み、持ってきたサンドイッチと赤飯のおにぎりを食べて、2年越しの妻とのスノーシューハイキングは終わった。

      
    写真左・北横岳を見ながら歩く           写真右・五辻にて
 

2月23日 茅野は小平さんフィーバー

ピョンチャンオリンピックで金銀メダルを獲得した小平奈緒さんは茅野がふるさとだ。}
行く前から「激励ポスター」があちこちに貼ってあったが、今は大変な騒ぎになっていた。
母校の豊平小学校にも市役所にも駅にも「おめでとう!」のポスターがあふれている。
コープピアの入口には「金メダルセール」の看板とともに、金メダル当日の信濃毎日新聞の号外が飾られていた。このスーパーは小平さんの家からも近いので、よく買いに来ていたのだろう。市役所でのパブリックビューイングの映像を見たら、御柱祭りの木遣りとラッパ隊の「パツパツパ、パパパ、パパパパー♪」のメロディが流れていた。街全体がお祭り騒ぎだったようだ。ス ト熱が盛り上がり、次の小平さんが出てきてほしいと市民は願っているらしいが、子供が少なくなった今、スケート人口も半減し、スケートリンクも少なくなっているのが悩みだという。

      
    写真左・小平さんの母校・豊平小学校           写真右・ 茅野駅にも 
 

2月22日 慶応病院

妻が健康診断で「大腸に異常あり」と出て、内視鏡で検査したらかなり大きなポリーブがあるという。ガンでなかったことにホッとしたが、手術で取り除いた方がよいと言う。診断したのは日野市立病院に派遣されている慶応病院の医師だ。通常は慶応病院専属だが週に1回、市立病院にアルバイトで来ているようだ。市立病院は慶応出身の医師が多いらしい。「小さい腫瘍ならここでもできるが、大きいので他の病院でやってもらうことになる。慶応病院は遠いでしょう」と先生は言う。「遠くありません。神宮球場へはよく行ってます」。妻も慶応がよいと言うので、この日打ち合わせに行った。慶応病院は近代的で患者も高級そうな人というイメージで来た。しかし建物は古く、廊下の長椅子が待ち合い場、診察室も垂れ幕のような仕切りを開けて入る。日野の花輪病院と同じではないか。日野市立病院の建物の方がよほど近代的だ。患者も多く、慶応の響きにふさわしくない老人も多い。だいぶイメージと違っていたが、3月22日手術、1週間の入院の段取りで予約してきた。昨年、私が入った重粒子研究所病院はかなり高級な病院だったことを実感したのだった。
 

2月18日 激戦の日野市議会選挙
地方の市議会、町議会、村議会は議員のなりてが少なく、定員割れも多く、夜に議会を開いたり、議会を廃止して全員集会にしようとか、議会運営に苦労しているところが多いと聞く。東京になると、この日野市あたりはまだそんな心配はないらしく、定員24名のところに33名の候補者が立ち、9名は落選する激戦だ。ポスター板にもほとんど隙間なく候補者の写真が貼られている。選挙公報を見て気が付いたことは、日野自動車に関係する人、中央大学出身の人が多いことだ。いずれも地元の企業であり、学校だ。
公明党、共産党などからの電話もよくかかってくる。わが家は妻は長女と同じ日本女子大出身の人、私は立憲民主党の人に入れたが、町内会で一生懸命やってくれる人にも入れたいので娘に頼んだが、入れただろうか?入れた候補は全員当選した。今回の市議会選しぶりに身近に感じ、公報もじっくり読んだ。

      
       写真左・九名は落選              写真右・バス停の掲示板
 

2月18日 日野稲門新年会

市議会選挙に行った足で、高幡不動まで歩いた。日野稲門会の新年懇親会があるのだ。昨年は平山の公民館で行われた。駅のホームで案内を見てびっくり、今年は豊田でやると書いてある。開始まで1時間を切っている。慌てて、駅を飛び出し、日野駅行きのバスに乗った。いつも下りるエプソン前を素通りして、日野駅へ。高幡から日野駅へ30分はかかると踏んでいたが、20分弱で着いた。思いのほか速い。まだ開始まで20分ある。タクシーに乗ろうと思っていたが、これなら中央線でも間に合いそうだ。幸い、電車も早く来て、豊田駅には10分前に着いた。ここから会場まで7分と案内書に書いてある。会場に着いたときは始まる寸前、何とか間に合った。寒いのに大汗かいた。あとは近況報告、ビンゴ大会では2番目にビンゴとなり、2000円の商品券ゲット、あせったことも忘れる喜びだ。「都の西北♪」を歌って終わった。めでたし、めでたし。

      
       写真左・日野稲門会            写真右・最後は”都の西北♪” 
 

2月11日 美しき麦草峠への道
岳文OB会恒例のスノーシューハイキング、今年は定番・麦草峠。岳文OBは志知さんと山内さん、他はお母さんの世話や、病気などでダメ、年々減ってくる。これも老齢化の現象か。スキー仲間で、ニュージランド、アルプスや北アルプスに行った森さん夫妻も参加して5名で麦草峠へ向かった。前日の雪で、道は新雪に覆われ、木々殊の外美しい。山荘を出た時はいい天気だったのに、ピラタスロープウェイで上った坪庭は霧の中だった。空気も冷たく、風も痛い。前にはスキーで行った人の跡がひとつあるだけ。吹きさらしの雪原に出ると、その跡も消えて、道定からず。ガスの中を進んでいくうちにだんだん晴れてはきたが、オトギリ平あたりでは雪も舞う。幻想的な雪原の景色の中を定かでない雪原を進み、麦草ヒュッテに到着。昼前だったので客は少なく、よい場所を確保して、ココアを注文した。その温かさと甘さが胃にしみる。作って持ってきたハムカツサンドと赤飯おにぎりのおいしいこと。帰りは烈風吹きすさむメルヘン街道をしばらく茅野方面に下りて、狭霧苑地から五辻への森に入った。ようやく烈風地帯を抜けた。
だんだん雲がとれ、青空が広がり、霧氷の木々の上はセルリアンブルーの空が広がった。美しい。東急リゾートに帰ってきて入った温泉の温かさが体を癒してくれた。夜は恒例の寿司パーティ。楽しきかなスノーシュー!!

      
         写真左・Blue Sky                写真右・無事終了
 

2月3日 極楽スキー20周年
奥志賀で毎年、この季節に行われる極楽スキーの集まり、今年で20周年を迎えた。長野オリンピックの開催日に白馬に行ったのが最初だ。当時、私が参加していたファシリティマネジメント協会の集まりの後、銀座ライオンで飲んだとき、スキー好きばかりだったのが始まりだった。白馬には会社の健保組合のロッジがあり、そこに泊った。6名だった。翌年、場所を奥志賀に変えて、さらに参加者が増えた。今、幹事役をやっている永瀬君もそのときの参加者だ。年々増え、10年目を迎えた頃には30名くらい集まり、ペンション・オードヴィーだけでは入りきれず、仲間の三輪さんと私が始めたベルサルームズにも分宿した。今は20名ちょっとに落ち着き、オードヴィーを貸切にしている。最初のメンバーで今回参加したのは私だけ。もうひとりの創始メンバーの大田さんは病に倒れ、欠席した。残念である。この20年間、冬季オリンピックも長野、ソルトレークシティ、トリノ、バンクーバー、ソチ、ピョンチャンと6ヶ所にわたっている。2,3年続けば終わると思っていたが、20年は長いものだ。あと何年続くことか。メンバーの若返りがないと難しいと思いながら、よくここまで来たものだと感慨深い。

      
   写真左・すべてはここから始まった         写真右・横手山での休息
 

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1 月

1月28〜30日 日野稲門会スキー in 志賀高原

4年前から始まった日野稲門会のスキー、奥志賀のブルーエに8名が集まった。
とは言っても、日野稲門会のメンバーは私を入れて3名、あとの5名は幹事長の高橋さんの早大時代にあったデザイン研究会のメンバーで東大や日大もいるという混成部隊だ。若手が入らぬ稲門会では私はいちばんの若手である。
29日はまずまずの天気になったので、サンバレーまで遠出のツァーに出かけた。
前日から天候は少し安定してきて、新雪がうっすらと積もり、雪質は最高で滑りもなめらかだ。前日は動いていなかった奥志賀ゴンドラも今日はOK,快適な滑降で、焼額を越し、ダイヤモンド、一瀬、高天原、西舘、蓮池、丸池を越えてサンバレーへ到着。
グリーンで生ビールでスパゲッティを食す。ブルーエの凜ちゃんは入学試験日とかで休日、一緒にスキーに行った。愛想が格別いい子供に育って、みんなから可愛がられていた。同行の人がブランデー入りのチョコレートを勧めたら、「お気持ちだけいただきます」と言ってビックリされていた。その話を三輪さんにしたら、「自分がお客さんとの会話に使うことがあるので、それを聞いていて言ったんでしょう」と話していた。
同行の安樂さんが高天原で財布を落とし、そのとき財布の中から1万円札が飛び出し、後ろを滑っていた永山さんがばらまかれた札を拾い集め、グリーンのテーブルにくちゃくちゃになった札8枚を広げたときはびっくりした。安樂さんは落としたことに気づいていなかった。夜はこの話で盛り上がった。

      
     写真左・グリーンでの昼食           写真右・サンバレースキー場
 

1月25日 目黒雅叙園の百段階段ひなまつり
雅叙園の百段階段ひな祭りのチケットを朝日新聞販売店からもらったので、目黒へ出かけた。歴史ある雅叙園には坂に沿って作った百段階段の座敷がある。階段の両脇が料亭の座敷というわけだ。今は料亭には使っていないが、催し物に利用されている。
今回は、ひな祭りで井伊直弼家で使っていたお雛様を中心に滋賀、岐阜あたりのお雛様を展示していた。飛騨高山の日下部家のものもあった。毎年、この季節に地方ごとのお雛様を展示するらしく、もう8回目の展示会という。殿様のお雛様はさすがに立派だが、庶民が使っていた土雛も素朴で愛らしい。

          
    写真左・百段階段最上部から            写真右・豪華なお雛様
 

1月22日 東京に大雪の朝
夜中から降りだした雪は朝になると20cmくらい積もっていた。こんなに多い積雪は日野でも珍しい。景ちゃんを4駆・スタッドレスタイヤのシエンタで駅へ送った。都会での雪の朝になると車の数は少ない。帰ってきても降りやまず、一日中降っていた。
翌日は晴れたので、家の前の雪かきをしたが、アパートの前や、高速道路の下は誰も雪かきをやらないので、カチンカチンに凍ってしまい、一週間たっても溶けず、今年の寒さは記録的なことがよくわかる。

        
        写真左・雪の朝                 写真右・車も真っ白
 

1月21日 複雑な中々連新年会
昨日、広田ママさんのお通夜で、今日の午前中は告別式。そして午後は中々連の新年会。ママさんが亡くなる数日前、昨年まで連長だった打出さんんも亡くなったので、今日の新年会は偲ぶ会のような感じでもあった。写真を並べて、献杯と乾杯をするという複雑な会だ。
「中々連の名前は、連が結成される前に広田ママさんの喪主の息子さんが勤めていた東急の高級ケアホームで阿波踊りをやる打ち合わせで打出さんも行き、その帰りの飲み屋での話の中で出ていた焼酎・中々を見て、ママさんの”これでいいんじゃない”の一言で決まったんですよ」とふたりを偲びながら、私は連の成り立ちを紹介した。しめやかなうちに始まった新年会だったが、最後のひと踊りのときは二人に奉納する意味もあってか、いつもより長く、盛り上がったような気がする。これで良いのだ。

      
      写真左・新年会に遺影               写真右・鎮魂の踊り 
 

1月20日 華やかな広田さん葬儀お通夜
新宿ゴールデン街「花の木」の広田ママが急逝されたという話が来て、8日後の今日、お通夜が新宿十二杜のお寺のホールであった。「にぎやかに華やかに、最後のスナック花の木にしてほしい」というママの遺言でお通夜は中々連のお囃子で始まった。
献花をして二階の宴会場に移り、呑んで、スライドを見て故人を偲び、最後は花の木連を思い出しながら、踊って終わった。広田ママさんは店のお客を集めて、花の木連を結成して高円寺の阿波踊りに出るようになった。私はスナックの客ではなかったが、朝日カルチャーセンターの阿波踊り教室に参加して、同じように習いに来ていた花の木連の人を知り、ママさんの面接試験に合格して、メンバーに加えてもらった。
それからゴールデン街にも行くようになったが、店の扉に手をかけるときは、いつも深呼吸をしてから入ったものだ。緊張するのだ。花の木連が30年経ったときに、ママさんは「花の木連終了」を宣言して、このときも盛大なパーティをやった。その後、同じメンバーだった打出さんと一緒に、花の木連を継承することにママさんと話し合い、中々連ができ、浴衣やお囃子の道具を引き継いで今に至った。
紆余曲折があったものの、中々連も大きな所帯となり、にぎやかになった。その生みの親の広田ママさんも打出さんも鬼籍に入り、ひとつの時代が終わったような気がする。

    
     
写真左・ママさんの葬儀             写真右・ママさんの朝日新聞訃報記事
 

1月12日 数ヶ月ぶりの放射線研究所病院での診断
昨年の9月から4ヶ月ぶりに千葉の稲毛の放射線医学研究所(放医研)にやってきた。1年前の今頃は、妻と二人で来て、治療前のインフォームドコンセントを受けた。先月、市民病院でもらった血液・尿検査のデータを持っての受診だ。辻先生曰く「PSAレベルは0.36と少し前より上がってきたがこれは正常、これから上がり方は緩やかになってくる。1年経って、1を越えなければ完治と言えるだろう」との診断。まずは順調に経過しているということか。それにしても、他の病院の検査データを見ながらの診断。ここまで2時間半の道のりでやって来る身としては、なんだか損したような気がいつもするのだが…。しかし久しぶりに見る放医研の構内が懐かしくも感じられるのだ。

      
       写真左・放医研玄関                写真右・病院への道
 

1月9日 スキー合宿に備えてひと滑り
正月に11日間も滞在していた方々が帰り、その片付けに蓼科にやってきた。
一段落した今日、月末の二つのスキー合宿に備えて、トレーニングのために白樺高原にスキー行った。昨シーズンは、入院生活の後遺症か、退院して参加した稲門会白馬スキーで少し滑ると太ももがジンジンして滑れなくなるという状態だった。またこんなことになっては大変なので、前もって訓練するか。白樺高原はタラタラの斜面ではあるが、こんな体にはちょうどよいかも。3000円のシニア一日券で、ゴンドラに7回乗れば元がとれる。一回一回を丁寧に滑った。太ももも痛くならず、まずまずのできだ。昨夏、高天原まで歩いたことも効いているようだ。久しぶりに、会心のスキーをやったような気がして、帰り道に寄った登美のゴボ天せいろは格別においしかった。

      
    写真左・白樺高原スキー場マップ           写真右・新春の山荘
 

1月5日 久しぶりの再会

HP時代の仕事仲間だった加藤君に日野で会った。お互い、日野に住んでいるのだが、私が現役時代に一回、オルガに行ったことがあった。彼は当時、情報システムにいて、その後、私の後を継いだ小林剛さんが定年になった後にその職を継いだ。
HPは分離を繰り返し、今は分離したビジネスを買った会社に移っているという。分離、分離で何がなんだかわからない状態のHPだが、それでもビジネスは何とかなっているようだ。昔の栄光はないとはいえ、そこそこがんばっている。われわれの年金がちゃんと続くことを真に祈る。彼は私以上の飲兵衛だ。夢路という昔から日野駅前にある居酒屋でまず一献、そのあとオルガへ移った。今では娘の穂梓のお気に入りの店なのだが、その前に加藤君に私が連れてこられたのが始まりなのだ。そこで少し飲んでから、駅の反対側のカラオケに行って仕上げて終わった。
 

1月1日 すしざんまいのおせち

今年の正月のおせちはすしざんまいの三段重ねを娘の景が買ってくれた。
すしざんまいと言えばいつも築地の初競りで億もするマグロを競り落とすことで有名な会社だ(今年はダメだったようだが)。さすがにすしやさんでも生のマグロをおせちに盛り合わせるのはむずかしいようで、焼いたり、煮たりの魚中心のおせち料理となっている。
あれやこれやを摘まみながら、飲むシャンパン、白ワインはとてもおいしい。
正月はやはりおせち抜きでは始まらないのだ。新年の安泰を祈りつつ、みんなの健康を祈念した。

      
    写真左・ すしざんまいのおせち           写真右・新春の食卓
 

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